千年後も変わらない里山のある暮らし。持続可能な未来を考える

【聞き書き 森 和子さん】

森家に嫁いで60年

Posted: 2021.03.10

INTERVIEW

「聞き書き」は、インタビューや聞き取り調査とは違い、語り手の口調を一字一句そのままに書き起こしています。過疎化が進み、かつてあたりまえに営まれてきた里山での暮らしの知恵や技術が失われつつある中で、地域の人々の記憶を通じて、自然とともに生きる知恵や生活の哲学を学びます。

実家の田畑と伊深の田畑

私は昭和13年4月5日生まれ。加茂野町今泉ってところに生まれたの。富加を越えた隣近くやけど、バスが通っとった。けど、交通の便は割合不便は不便なところなの。

私の名前『和子』やけど、それは私の父親が付けた。私の父親はいっぺん兵隊に行って、戻ってきて、ほいで、私が生まれる前にまた兵隊に行って、そんで、留守の時に生まれたの。その後、無事に帰ってきて、聞いた。「なんで『和子』やけ?」ってせってそしたら、「平和にしてもろてぇで、『和子』にした。」って。この年代で『和子』っていう子多くて、同姓同名が多いやって、困ったこともあるけど、そりゃまあ、戦争に行って辛かったなぁ、って思う。けど、よう戻ってきてくれたね。

私は今泉の農家から来たもんで、学校から高校おりて、洋裁学校からおりて、20で嫁入りした。私が居(お)る頃の実家は桑畑が多かった。サツマイモと麦も作ったけど、畑(はた)どころではなかった。それこそ寝るところも養蚕やっとったけ。まあでも、学校帰りに桑畑(くわばた)の葉を持って帰るついでに、桑の実食べて帰ってたね。それは楽しみやったね。あれはイチゴと一緒で熟してくると、美味しい。

まあ、そういうところで生まれたもんで、親たちは百姓ばっかよね。田んぼは、実家のところは沼田が多かった。実家の方は膝まで入るところで、こっちの伊深は足首くらいやねぇ。しかも、麦田なもんで二毛作ができるよね。

ほいで、お米屋さんがお米買いに来た時、「あんたどこから来たんや。」って、せって言われて、「今泉から来た。」ってせって言ったら、「今泉の米は不味(まじ)ぃわ。ここの米は美味しいやろ。」って。言われた時、嫁ぎ先で米が美味しいと思ったことねぇで、って思ったんで「ほいかね。」って、言った。けど、歳くうにつれて、だんだん米屋さんが言った通り、前のところは米不味ぃんやな、って思った。今、実家は弟が後を継いで田んぼやっとるけど、昔の米より美味しい米を作るようなって、『ハツシモ』ってう品種を植えてるんよ。うちは『コシヒカリ』ばっか作るけど。昔、伊勢湾台風があったやね。あの時に遅(おせ)ぇ米ばっか作って、ペッタペタに寝てまって、まあ、大変。あれから『コシヒカリ』が出来て、早いようなもんを作るようになったんやね。

今も森家の田んぼに『コシヒカリ』植えてるんかね、それを、自分の息子が後継いでやってくれている。田んぼは4反ぐらいかな。まあ、田んぼは機械でやりよるで、やってくれてる。あと、畑を2反ぐらいかな、持ってて、私は畑仕事を自由にやってる。昔は牛がおって、田おこしに牛を使って、スキでおこして田植えの準備しとった。長男を出産してからの間、畑仕事はお義母さんがやってくれたけど、農繁期になると、乳母車に乗せて仕事を手伝って。大変やったね。田んぼの草取りは、一番草取り、二番草取り、手で田んぼ中取るもんで、腰が痛かった。はざ掛けは家中でして、稲こきは、足踏み脱穀機で土日にみんなでやったね。籾摺り機は村の組に1台あって、順番にやったね。

 

森家のお勝手

森家に20歳(はたち)で入って、家族の食事、お勝手は全部私がしてたね。畑で採れたものを煮る、かまどでご飯、おかず作って、風呂も薪で沸かす。家の裏に天王用水が流れとって、洗い物は全部そこでしとった。家中の洗濯物をたらいで洗濯板を使って洗って、ゆすぎは全て用水でやるので助かった。土日になると山から木を伐り出して、割木作ってみえとったね。

お義母さんはどちらかというと外仕事が好きな人やったもんで、縫り針もしなさらなんだ。なんで、ほとんどやね。それで、お義父さんが定年退職してすぐに、お義母さん、早う亡くなったもんで。お義父さんは厳しい方で、人が寄せてくると全部私にやらせよるんよね。

この森家でも、ちぃっと鶏 『ブロイラー』という品種を飼っとったね。それで、ちょっと弱ったやつをみんなで食べとったね。「卵を産まなくなると殺して肉にしておけ。」って言われて。実家でも、鶏飼っとったけ、お父さんが絞めたお肉を見さしてもらったことあったけ、そやから、どこが『ささみ』かは知っていた。けれど、お父さんが鶏を殺したところをしっかり見たことなかったけ、けど、必死に思い出して、自分の手で絞めたのは森家に来てからやね。いやあ、ねじれば死ぬ、って言われてやったけど、頭キュッと絞めても、はやぁあ、飛んでってまうしねぇ。鶏初めて絞めるのにほんとに往生したけ。そいで、その鶏を頭取って、逆さにして、足縛って吊るして、血を落としてね。『ブロイラー』という品種は肉がやらけぇもんで、羽付いたまま皮をペロッとして、手、足を取って、そのまま腸(はらわた)抜いて、天王用水路で洗ったね。普通の鶏はちょっと手間で毛をむしっても、まだついとるやらで、細かいやつは焼いて、皮をはいでいたけ。それは、私の父がようやりよって。まあ、それを見とったから、ちょっとはできたね。綺麗にして、お肉にして、正月、お祭りのごちそうやったね。鶏は卵も産むし、卵も農協へ出したり売ったりしよったし、弱ってきたら、その鶏の肉を食べていた。肉なんて買うていかんよって、まあ自給自足やもんで。

鯉は本当驚いた。突然お義父さんが持ってきてね。「鯉もらってきたで、鯉汁しろ。」ってせって言ったもんで、私、お義父さんに「ひょぇ、これどうやって調理するとね。」ってせって言ったけど、返事が返ってこんもんで。とにかく、近所におじさんがおったもんで、そのおじさんは池で鯉を飼っとったもんで。それで、「これどうやってやんの。」って聞いた。したらおじさんは、「鯉を横にして、頭を取って、すぐにへって鱗取って、やるよね。」って教えてもらって。けど、実際、鯉は頭取っても尻尾がピョピョピョピョって跳ねて跳ねて、動く動く。「ひゃあああ!」って、それを輪切りにして洗って、鯉汁にしたけど。これも往生したな。おかげで、鯉の泥掃きの仕方、捌き方ができるようになって、法事や祝い事には鯉の料理出したな。お豆腐も作って。コンニャクは、お義母さんが亡くなったもんで、近所のおばさんに教えてもらって、作れるようになって。正月は、餅と大鍋で作った『大歳のごっつお』を温め直して食べとった。まあ、それから色々。ヘボもやったり、味ご飯やったりね。どんなことも命令され、やらされたけど、めげずにやり遂げたもんで、今があると思っとる。

 

趣味の今昔

趣味は、今はもうやってないけど、十何年前まで御詠歌(ごえいか)やっとって。やり初めたのは40代頃やね。森家は禅徳寺の檀家なもんで、ほいで、檀家の奥様方が御詠歌やって見えて、仲間に入れてもらって一緒に御詠歌を。昼から2時間ぐらい練習しとった。

ほいでな、御詠歌にも大会があるもんで、大平賀の東香寺から先生がここへ来てくださって、教えて下さって。大会前はよくしっかり絞ってくださるもんで、畑仕事しながらで、なかなか勉強できえなもんだけど、一生懸命勉強した。1年に1回、中部地域の講習会、秋は全国大会があるんよ。恥じないように練習して。ほんで、全国回らせてもらうんよ。地方と妙心寺1年おきにやって。旅もあるし、勉強もあるけど、そういうのやっぱりいろんな人の話が出来るもんで楽しかった。

今思えば、もったいないことしたなぁって。御詠歌の方はみんな年とりなんだ、1人2人減りして、10人足らずになったもんで、「これならあかんわ、辞めようか」ってなったもんで。その後、他の檀家さんはあまりどうしているか分からんね。ただ、1人、年の人がね、「開山忌に朝一番に一緒に正眼寺さんまで、御詠歌あげようかね。」って誘ってくださって。ほいで、あげとったんけど、5年してかなぁ。「もう、おこうか。」ってなって、辞めたね。

今は編み物の方してる。編み物は間違えても、後でポロポロしてまた編み直しできるんで、楽しい。今はコロナで行けんようになってしまったけど、3月と9月に名古屋で毛糸ばっかの組合が糸やら何やら展示してて、先生と一緒にそこで食事してから、糸を頼んで帰ってくるんや。糸は昔と違っていていろんな色があって、楽しい。今年はパンフレットを見て先生に頼んで注文して、そして、家でやってる。

地区の婦人会代表をやることになって、何も分からなくて、前年度の行事に倣って、役員の方に助けられて。1か月に1回は市役所に出掛けて前の代表の方と一緒に働いた。会の行事が色々あってついてまわるのが1年目やった。2年目は市婦人会の行事があって、皆さんについてやるのが大変やった。何事も初めの事ばかりだった。おかげでいろんな事、勉強になって、友達も大勢できたね。市役所に出入りしておるうちに栄養教室があることを知って、入って、1年勉強して。そしたら、食生活改善連絡協議会に入って、1か月に1回料理教室で勉強会。それを地区で教えたりしとった。家の食事でまずは主人の食事が大変役に立って、また、孫2人子守しながら、食改で習った離乳食を作って、食べさせて育てたね。自分の子はどのように育てたのかを食改に入って色々学んで、15年ぐらい教えたりしたね。

それと、美濃加茂の文化の森の伝承料理の会に入ってて、20年になるね。郷土料理「四季食べ物講座」をボランティア会員45名、4班に分かれて、季節の料理行事を研修して、参加してくださった人と料理作りをして、一緒に食べて、楽しい一日を過ごしてね。まゆの家祭りの時はいつも前日から仕込んでな。五平餅のタレはエゴマとクルミと落花生が入るの。クルミは渋を取るのがかなわん。あれがとるのが面倒やね。でも、五平餅小さいやつ置いて、自分たちで焼くようにしたら子供達喜ぶやら。で、あの小さい、一口ぐらいの大きさの平べったい丸のお餅を一つずつ作って、置いてる。

他にも鬼まんじゅうやら作って。百姓のみんなと作ることが好きな人ばっかが入っとるもんで。
ほんで、集まれる日に行事として、ヘボ料理もするし、それが一番遠方からくる人が多いね。東は多治見、近いと言っても各務原の方から見えよって、わざわざ、ヘボ買い付けてやったね。今年は文化の森が20年なもんで、牡丹餅(ぼたもち)しようかと思ったけど、コロナで中止になって、ほんと、残念。

農協で、女性部の夜の講座があって、それを友達と一緒に、農作業も忙しかったけど参加して。着物教室で着物の着方、浴衣から留袖まで着れるようになって。帯の結び方も色々あって、自分でもできるようになったね。それで、娘の成人式の振袖、帯結びは着付けが出来て嬉しかった。布団づくりも教えてもらって、自分で作ったね。
今の随一の楽しみは畑仕事やね。ただ、ハクビシンやカラスやら生き物と競争。今年も網張っとったけど、どこかしらから入って、トウモロコシのええところ、やられたね。

けどまあ、いくつか農協さんに出荷しているもんで、それが『グリーンセンター』、『とれった広場』とかに並んで、それを買いに来た人が、「これええね」、「美味しかったよ」ってせって言われとるって、誰かさんが他の支店で聞いて、「そうかね」って嬉しい。生産者と消費者との触れ合いができるのはええね。一番驚いたのは、わざわざ家(うち)まで夫婦でみえて、私の作ったゴマが欲しいで、買いに来た人もおるよ。そこから、毎年、ゴマ出るの楽しみにしとってくれて、グリーンセンターの人にわざわざ、「ゴマでんかね?」って聞いてるみたいで。まあグリーンセンターの人は、「こんな天気が悪いやで、まだ出やへんわ」って伝えてくれたりする。そういう話しを聞くと、やっぱり生産者は嬉しいね。他に、野菜を孫とかにやると、本当に喜んでくれて、やりがいがあるね。畑仕事はちょっとした天候や工夫で、収穫が良かったり悪かったりするから、大変やけど、楽しいね。

畑は自由に作ってやっとるもんで、草刈りも、昔は鎌でやっとったけど、今は草刈り機があって、ようなったね。畑で採れるものを加工する。手間暇かけて作ることが好きで、味噌作り、豆腐作り、コンニャク作り、粟を粉にしてもち米に混ぜで餅にする。珍しい野菜とかも作ったりしたりするもんで、ほんと楽しく過ごしとるよ。

 

WRITER

篠木 柚香(しのき・ゆか)

兵庫県川西市出身。令和2年岐阜県立森林文化アカデミー入学。

文: 篠木 柚香、写真:黒元 雅史(STUDIO crossing)

Posted: 2021.03.10

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