千年後も変わらない里山のある暮らし。持続可能な未来を考える

【事実に想いをのせた記録映画が考えるきっかけを生む】

きれいごとではない、里山暮らしのリアル

Posted: 2022.11.07

COLUMN

PROFILE

今井友樹(いまい・ともき)さん

1979年岐阜県東白川村で生まれ育つ。民族文化映像研究所を経て独立。2014年に劇場公開初作品・長編記録映画『鳥の道を越えて』を発表。2015年に株式会社「工房ギャレット」を設立。東白川村はきれいな山々に囲まれ、清らかな川があり、豊かな自然がある。そういう美しい景色を入口にして、里山暮らしのリアルさ、歩みを伝えるために、記録映画を撮り続けている映画監督。

岐阜県の東部に位置する東白川村は、標高1000m級の山々に囲まれ、東西に清流・白川が通るのどかな里山です。この村で生まれ育った今井友樹さんは、民族文化映像研究所を経て独立し、ふるさとである東白川村の人々に話を聞き、記録映画を制作しています。映画監督の視点から見る里山の暮らしと、東白川村を撮り続ける意義について伺いました。

美しい風景を入口にして
里山の現実を丁寧に伝えていく

「里山という言葉が広まったのは2000年ごろだったと思います。自分が『里山で育った』と自覚したのは大人になってからですね」と今井さん。

劇映画を撮りたいという目標を持ち「日本映画学校」へ入学したものの、「地元について何も知らない。自分の足元が見えていないのは、映画を撮る上でダメなんじゃないか」と思い、色々調べるうちに民俗の映像記録作家・姫田忠義さんの活動に興味を持った今井さん。そして、姫田さんが代表を務める民族文化映像研究所に飛び込んだそうです。

日本各地におもむき、自然に依拠して暮らす人の表情やお祭りの記録映画を制作する日々。「自然と共存するダイナミックな暮らしに触れる中で、遠く離れた場所に住む人たちの表情が、地元のおじいちゃん・おばあちゃん達と重なることもありました。日本各地での共通点と地域の独自性と多様性。それらを丁寧に映像で残していく作業に刺激を受けて、地元・東白川村のことを撮りたいと思うようになりました」。

離れているからこそ気づく価値と
生の声から感じる課題とのギャップ

2015年に独立し、株式会社「工房ギャレット」を東白川村に設立しました。ただし、村で暮らしてしまうと「暮らしを営む」ことに終始してしまうという懸念や関東圏で引き受けるその他の仕事もあり、神奈川県に住んでいるそうです。「神奈川にいてもいつも考えているのは東白川村のこと。この距離感が大切だと思っています。暮らすのではなく、少し距離を置いたところから思いを馳せることによって、生まれてくるアイデアがあり、見えることがたくさんあるのです。でも、それは実際に東白川村の人に取材する度に覆される。机上の空論に過ぎなかったと感じることが多々あります。頭の中で考える東白川村は『こうあってほしい』という理想が入ってしまうのかもしれません。けれど、生活はそうじゃない。取材してはじめて、生活している人の生の声が聞こえてくる。例えば、『里山での暮らしを次世代につなげなければならない』という想いは多くの人が感じていること。でも、自分の幼少時代とは子どもの数が明らかに違う。同級生が40人いた時代から、今は10人程度という少なさ。実際に子育てしている人からすると、次世代につなぎたい想いはあるものの、子どもたちの負担になるのでは…という親心もあり、深刻な悩みとなっていることが分かってきました。自分が頭の中で考えていることは理想であり、現実の深刻さを痛感します」。

おじいちゃんの見た風景が見たい
その想いで制作した『鳥の道を越えて』

住んでいる人のリアルを伝えるためには、話を聞いて検証する必要があります。かつて東白川村ではどんな暮らしをしていたのか。今井さんは「自分が気になることを記録していこう」と思い、祖父に話を聞いたそうです。竹藪がある理由や、お風呂を作る材料にはこの木がよい…といったことを具体的に教えてもらう中で、「秋になると空が渡り鳥の大群で埋め尽くされ、真っ暗になる」という言葉が印象に残ったそうです。「おじいちゃんが山を指さし『あの稜線のところに、鳥が通る道がある』と教えてくれた時、自分にはその道が見えなかった。渡り鳥で空が真っ暗になるのを見たこともない。おじいちゃんが見ている景色を、自分は見ることができない。今までうれしそうに話をしてくれていたおじいちゃんも、伝わらないもどかしさを感じているようでした。『なぜ、自分にはおじいちゃんが見ている風景が見えないのだろう』という疑問を追いかけて作品にしたのが、『鳥の道を越えて』という記録映画です」。

提供画像©︎「鳥の道を超えて」パンフレット

2006年から撮り始めて、完成したのは2014年でした。8年もの時をかけて、祖父の知り合いや県外の人にまで話を聞きに行ったそうです。鳥の道に仕掛けられた「カスミ網猟」について、なぜ村の人は渡り鳥を捕り、食べなければならなかったのか、現在行われなくなった理由など、疑問を丁寧に追いかける日々。鳥の命をいただくのはこの土地の人たちが生きていく上で貴重なタンパク源であり、収入源でもあったから。一方で、野鳥が減ってしまい自然保護の観点で禁猟になったことなど、人間と鳥との関係性がようやく見えてきたとき、自分にも祖父が見ていた「鳥の道」が見えたと感じたそうです。「素朴な疑問を解決すると、また新たな疑問が生まれる、その繰り返しの中で、当初の自分では意図しなかった世界が見えてくる。新しい視点が生まれる。それが記録映画だと思います。かつての暮らしを知り、里山で生き抜いてきた人々を想う。知識として得るだけではなく、自ら想像し、考えることで、過去の人々を身近に感じることができるのではないでしょうか」。

次回作で紐解いていく
ふるさとへの想いの変化

2022年10月現在、今井さんは「ツチノコ」を題材にした記録映画を制作中です。かつて「ツチノコ」は「ツチヘンビ」と呼ばれていて、不吉なものだから見つけても人には言ってはいけないと言われていたようです。しかし、時代と共にイメージが変化。目撃談が多いこの東白川村でツチノコ捜索のイベントが開催されたのです。「1989年のことでした。見つけた人は100万円もらえるという大イベントです。県内外から多くの人が東白川村にやってきて、大人も子どもも真剣に探して、おじいちゃん・おばあちゃんも楽しそうで…。こんなに活気があり、大人が楽しそうにしているところを初めて見て『こういう大人になりたい!未来は明るい!』と思ったのを覚えています」。

今井さんは中学を卒業して、高校から美濃加茂市へ。「東白川村=ツチノコというイメージが根強く、クラスメイトにからかわれ、『東白川村の未来は明るい!』と感じていたはずなのに、その気持ちが冷めてしまった。他にも観光資源があるのに、なんでツチノコのイメージしかないのだろう…とモヤモヤしたりもしました。江戸時代ぐらいまでは妖怪のような扱いだったツチノコが、1970年ごろから未確認生物として認知され、村や子どもたちの希望になったこともあったのに、地元に対する気持ちが冷めるきっかけにもなってしまった。時代と共に見え方が変わってきたツチノコの存在ってなんだろう?それを知るために、ツチノコを題材に記録映画を撮ることにしました。こちらも8年ぐらいかかっていて、来年度(2023年度)には完成予定です。この映画で人々がふるさとについて理解し、再評価する。そんなきっかけになればと思っています」。

技術や事実を伝えるだけではなく
人の想いを伝えることでリアルに

ある時、いま住んでいる神奈川の住宅地や商業ビルに囲まれた場所で、細々と、畑を耕す年配の男性に話を聞いたことがあったそうです。「この畑は、20世代も前の先祖から代々残してきたもの。自分は世継ぎのために生きてるようなもんだ」。この言葉に、おじいちゃんのアイデンティティと覚悟を感じたという今井さん。「100年前、500年前も、同じように畑を耕して暮らしてきた人がいる。こうした人々の生活が現在につながっている。そんなことを思い描くと、過去・現在・未来が1本の道につながり、とても壮大なものを背負っているのだな…と感じます。何世代も前の先祖と同じ作業をすることで今の生活が守られ、後世へつながっていく。事実を伝えるだけではなく、人の想いを伝えることは、里山での暮らしを守り、学び直すきっかけになるのではないかと、僕は信じています」。

共に集い、理解を深めるきっかけとなる
映像ならではの力を信じて

本にしたりwebにアップしたり…と様々な伝え方がある中で、今井さんはなぜ映像で残すのでしょうか。「映画は上映しなければ見られないという特徴があるからです。その作品を見るために人が集い、一緒に観るのが映画です。記録映画を観た後に意見交換し、専門家を招いて語り合い、内容を深めることもできる。里山について理解を深め、話し合う『場所』が生まれるのも、映画だからこそだと思っています。実際に『鳥の道を越えて』は、東白川村でお世話になった人たちに観ていただきたいと、地元の人に協力してもらい、お礼上映会を開催しました。800名ほどの方に観ていただく中で、『あの人が出ている!』と盛り上がったり、『こんな風に暮らしていたよね』という声が上がったり…。実際に自分が体験していないことも、映画を通して共通体験として記憶に刻まれることが可能なんじゃないかと思いました。自然や文化を学ぶ場所として、映画上映会を活用していけるのが理想ですね。映画を観ている村の人たちの表情や語り合う様子を見ていて、自分自身も幸せでした」。

記録映画を通して、東白川村のかつての暮らしについて紐解き、議論する「場所」を設ける。今井さん自身が探求したい謎を追いかけることで、里山の暮らしを体験したことがない世代に現実と人々の想いを伝え、考えるきっかけを作る。そんな記録映画を、今井さんはこれからも丁寧に撮り続けていきます。

WRITER

吉満 智子(よしみつ・ともこ)/ ライター

愛知県出身、岐阜県御嵩町在住。結婚式場と人をつなぐ仕事をメインに活動中。「ご縁を結ぶ」様々なかたちを目の当たりにし、その根っこにある「人を大切にする想い」の普遍性にしみじみする日々。御嵩に移り住んで感動したのは、徒歩圏内に蛍が飛び交うさまを見られ場所があるということ。守るべきものは、今この瞬間だと実感。

文: 吉満 智子(o-hana)、写真:黒元 雅史(STUDIO crossing)

Posted: 2022.11.07

pagetopTOP