千年後も変わらない里山のある暮らし。持続可能な未来を考える

生まれ育った里山へUターンした
持続可能な暮らし実践者が思い描く未来

Posted: 2024.09.20

INTERVIEW

岐阜県美濃加茂市蜂屋町には美しい自然環境に囲まれた里山が広がっています。この地で生まれ育ち、都会での生活を経て再び里山に戻った酒向さんは、持続可能な暮らしを実践し、その魅力を発信しています。酒向さんの言葉には、自然と共に生きることの喜びと難しさが詰まっています。今回は、「持続可能な里山の暮らし」についてお話を伺いました。

PROFILE

酒向一旭(さこう・かずあき)さん

美濃加茂市蜂屋町出身、蜂屋町在住の1984年生まれ。愛知県名古屋市の大学へ進学、就職後埼玉県へ行ったものの、違和感を抱いてUターン。美濃加茂市役所に勤務し、東日本大震災のボランティア活動を行う中で日本の資源について危機感を抱く。2023年3月に市役所を退職。現在は「里山の資源を活用した持続可能な暮らし」を体現しつつ、里山の魅力を伝える活動を行っています。

都会生活を経て再認識した
自分にとっての理想の暮らし

酒向さんは農作業を行う傍ら、里山での暮らしを体験できるイベントを企画・運営しています。「『多くの人に資源を大切にした暮らし方、生き方を真剣に考えるきっかけを作りたい』というのが大きなテーマですね。子どもたちと一緒に整備した森や山で1日過ごしたり、1年かけて生き物と関わったりするプログラムも行っています。何が資源になるのか、その資源をどう活用していくのか、体験しないとわからない。それを自分たちで実践しながら形にしていく活動をしています」。

酒向さんは転勤で埼玉県へ引っ越したものの、地元へUターンしました。「都会が嫌いなわけではないけど、違和感を抱いた。子どもの頃は田舎が嫌で、まちの子に憧れて出てきたいなって思っていたんですけどね。例えば、徒歩圏内に友だちの家があることもうらやましかった。僕は、一番近い同級生の家まで自転車で20分はかかりましたからね。でも、実際に都会で暮らしてみたとき、違和感があった。確かに家と家は近い。でも、気持ちの距離は遠かったんですよね。便利だし、誰かに干渉されないのは居心地がいいのかもしれない。でも、僕はそう感じなかった。道を歩いていて、近所のおじいちゃんやおばあちゃんが声をかけてくれる。気にかけてくれる。そんな暮らしに戻りたい思いが強くなっていったんです」。

築100年の古民家をリフォーム
昔の人の想いを受け継ぐ

酒向さんはUターン後に結婚し、現在は実家近くの古民家をリフォームして暮らしています。「近代的にリフォームされてしまっていたので、キッチンやお風呂、トイレなどの水回りは壁を全部剥がして、1年ぐらいかけて作り直しました。基礎は自分じゃできないので地元の大工さんにやってもらい、あとは教えてもらいながら自分で直していったんです。大工さんに綺麗に直してもらうことも考えたんですけど、ここに住んでいた人の暮らしの跡が見える方がおもしろいと思ったんです。例えば、土壁が真っ黒になっている場所は、ここに囲炉裏やかまどがあったのかなとか、壁に釘が打ってある場所にはタオルをぶら下げていたのかな…とか想像するのがおもしろい。それが古民家の魅力だと思うし、一緒に生きている感じがするんですよ。だから、あるべき姿に戻すというリフォームをやりたかったんです。自分の手で直していくことで愛着も湧いてきますしね」。

震災ボランティアの経験を経て
食料、燃料などの危機感が明確に

自ら古民家をリフォームする一方で、市役所へ勤務していた酒向さん。地域の課題に取り組み、里山プロジェクトにも参加していました。持続可能な暮らしについて本気で課題だと感じたのは、東日本大震災でのボランティア活動が大きかったそうです。「食の問題、ガソリンなどの燃料が日本にはないことなど、いろんな危機感を目の当たりにしました。進んで農業をやりだしたのは、それからですね。今の仕事をする大きなきっかけのひとつというか、ダメ押しだったのかもしれません」。

それまでの酒向さんは、お休みの日に農作業に駆り出されて手伝う程度だったそうです。「小学生ぐらいの時から、田植えの時期は『遊びたいのに手伝わされる』のが農作業であり、すごく嫌だった。その経験があるからこそ、ポジティブに里山に関われるよう働きかけることを大切にしているんです。子どもに農作業を強要するのではなく、その場にいればいいかなと思っています。最後まで集中して田植えをする子は少なく、大半は5分ぐらいで飽きて虫を探したり、泥の中で泳ぎ始めたり。でも親は苗を植えないと米にならないと知っているから植えていく。子どもはその環境にいる、田植えをする大人を見ていることが大事だと思うんです。『なんでこの人たちこんなことやっているんだろう』とか、『なんで田植えしないといけないんだろう』と考えるきっかけ作りになればいいのかな、と。もちろん田植えを楽しんでくれる子もいます。イヤイヤやるのではなく、必要だと思った時にやればいい。その時に『こんな風にやっていたな』と思い出してくれればいいと思っています」。

あるものをそのまま使う
地域でつなぐ知恵を次世代へ

酒向さんは田んぼを6反、畑を2~3反ほど管理し、自宅のお庭ではにわとりを飼育しています。「お米と卵は完全に自給していますが、それ以外のものは買うものもたくさんあります。作っていない野菜、イノシシ以外の肉は買う。あるものをできるだけ使うことが、結果として持続可能な暮らしになっている感じです。肥料も安くはないのでコストがかかってしまいますが、米ぬかで肥料を作ったり、葉っぱや草を集めてきて堆肥にする方法を近所の人から教えてもらって実践しています。お金のかからない昔からの知恵ですし、資源を有効に使えている気がしますね。近所の方との関わり合いの中で『昔こんな風にやっていたぞ』って教えてもらうことも多いんです。知恵は共有されないと失われてしまうことも多いので、大切に残していきたいですね」。

「今まで作っていなかった野菜を作る時、普通は種屋さんで種を買うと思うのですが、僕は近所の方がくれた種で苗を育てています。種も地域で代々受け継いでいくと、その土地に合った、育てやすい種になってくるんです。それをご近所の方たちや農作業をされている方たちから分けてもらったり、教えてもらったりする。80歳90歳くらいのおじいちゃん、おばあちゃんとの情報交換が欠かせませんね」。

農業体験で伝えたいのは
日々の暮らしに取り入れること

農業体験を通して、日本の資源について触れる体験活動も行っている酒向さん。「イベントは人が集まるし、楽しんでくれるのはわかってきた。でも、エンターテインメントで終わってしまうもどかしさも感じています。体験して終わりだと、里山の価値は広がっていかない。イベントをきっかけにして里山の資源や価値が伝わって、自分の暮らしに取り入れてもらえるのが理想ですね。例えば小さくてもいいから家庭菜園を始めてみるとか、自分の地域でも田植えをやってみようとか。その方たちが暮らす地域で、実際に活動してくれる人が増えたらうれしいですね。イベントという非日常ではなく、暮らしている地域がちゃんと未来へつながっていくような、守っていけるような活動につなげていってもらいたいんですよ」。

多様性こそが未来を切り拓く
田舎暮らしのリアル

「今、コミュニティって遠くにいても作れる時代ですよね。SNSもそのひとつです。好きなこと、同じ考えを持つ人同士でつながり合うコミュニティは居心地がよいと思います。でも、地域のコミュニティってそうじゃない。全然考え方が違う人、お年寄りも若い人もいて、田畑をやりながらの暮らしをしたい人も、したくない人もいる。その多様性があるっていうことが地域コミュニティの最大の特徴なんです。同じような価値観だけを持ったコミュニティに慣れてしまっていると田舎暮らしは苦しいかもしれない。でもね、多様性って大事なんです。例えば人参の種をまくとする。僕の育てている人参は、とても野生的な人参なんですよ。発芽の時期も芽が出る時期もバラバラ。太さもまちまちなんです。発芽時期が揃っていると農作業は楽だけど、発芽したタイミングで天候が悪くなれば全部死んでしまう。発芽が遅い種がいれば生き残れるかもしれない。寒さに強い種、暑さに強い種両方がいた方が、長い目で見ると生き残っていけるんです。多様性がある、いろんな考え方がある社会で、自分と違う考えをどう受け止めるのか、どう生きていくのかを考えて実践するのが大事なことだと思います。それが、人との関わりが密な田舎のリアルです。地域のつながりを大切にしながら、自然と共生する価値を広めていきたいと考えています」。

私たち一人ひとりが資源について考え、目の前にある豊かな自然に目を向けること、少しずつ動いていくことで、次世代へ受け継ぐことができる。持続可能な里山の未来への第一歩として、酒向さんの活動は注目されています。

WRITER

吉満 智子(よしみつ・ともこ)/ ライター

愛知県出身、岐阜県御嵩町在住。結婚式場と人をつなぐ仕事をメインに活動中。「ご縁を結ぶ」様々なかたちを目の当たりにし、その根っこにある「人を大切にする想い」の普遍性にしみじみする日々。御嵩に移り住んで感動したのは、徒歩圏内に蛍が飛び交うさまを見られ場所があるということ。守るべきものは、今この瞬間だと実感。

文: 吉満 智子(o-hana)、写真:黒元 雅史(STUDIO crossing)

Posted: 2024.09.20

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