【「おっぱらの地味噌」と発酵文化の伝統】
おいしい水と住民たちが受け継いできた
Posted: 2025.02.09
おいしい天然水の里としても知られる岐阜県東白川村。その水を利用して、越原(おっぱら)地区では古くから味噌づくりが行われています。その伝統を担う越原大豆加工組合の代表として、今日まで味噌づくりを続けてきた松岡久子さん。そして4年ほど前から地元の人々とともに組合の活動を担っている農業移住者の小林裕幸さん。世代を超えて受け継がれる越原の発酵文化について、おふたりにお話を伺いました。
PROFILE
松岡久子(まつおか・ひさこ)さん
神土生まれで越原の松岡家に嫁ぎ、越原大豆加工組合の創業時から組合員として活動。昨年まで70~80代の3人で味噌作りを行っていましたが、小林さんたち若手の加入により世代交代を図っています。76歳になる現在も、若い世代の育成、新しい味噌づくりへの挑戦など精力的に取り組んでいます。「元気でいられるのは、飲む点滴と呼ばれる甘酒と発酵食品、東白川のおいしい空気のおかげですね」。
小林裕幸(こばやし・ひろゆき)さん
水がきれいな場所を求めて8年前に名古屋から東白川に移住。もともと食や発酵に興味があったことから、越原大豆加工組合の担い手として加わり、他の移住者にも声をかけて若手の人材開拓に努めています。


地域のみんなで資金を出し合い
越原大豆加工組合が誕生
今から40〜50年前までは、味噌づくりは各家庭で行われていたと言います。「昔は村に麹屋さんがあって、それぞれの家庭でたくさん味噌を作っていたの。村の人たちが交代で室(発酵部屋)を借りてね。夜中も温度管理をしなくちゃいけないから、お隣さん同士で協力して交代で泊まり込んで作っていたのよ。冬場に行う大きな家の仕事のひとつでしたね。ただ、温度管理が大変だし、共同で使ってきた室も古くなってきたので、みんなでお金を出し合って新しく室を作ろうっていう話になったんです。それで1982年(昭和57年)に越原大豆加工組合が始まりました。村の大工さんに作ってもらった室(発酵部屋)は壁が厚いの。この厚みには『もみ殻』が入っているのね。断熱性が高いから温度を保ってくれて、室にぴったりなのよ。組合を始めたばかりの頃は会員さんが豆や麦などの材料を持ってきて、『花つけ(大豆に麹を混ぜて花が咲くように広がる状態にすること)』をするだけやったんだけど、家に1年分の味噌を置く場所がないということで仕込んだ味噌をここで預かるようになって。保管する場所を広げて、仕込みも組合でやるようになりました」と松岡さん。始めた当時は70人以上いた組合員さんは、亡くなったり、転居したりして、だんだん少なくなってきているそうです。



東白川のおいしい山水と国産の材料を使い
手作業で丁寧に仕込みを行う
味噌づくりの作業は、これまで松岡さんをはじめとする初期メンバーが中心となって担ってきました。「お味噌の味は、ほぼ水で決まりますね。ここでは、東白川のおいしい山水を使っています。そして、添加物は一切入れていません。味噌は昔から『寒に作るといい』って言われているけど、寒い時期は雑菌が少ないからちょうどいいのよ。昔の人の生活の知恵ね。毎年、寒くなる11月頃からスタートします。最初に『盛り込み』と言って、山水に一昼夜つけた米や麦、大豆をせいろで蒸していきます。材料は国内産にこだわっていて、大豆は白川町や岐阜県内で作っているものを使っているんですよ。約6時間蒸したら、冷まして菌を混ぜて、「ロジ」と呼ばれる木の箱に入れて室へ移します。温度と湿度を管理しながら発酵させて、翌朝に一番手入れをして(混ぜて)、また積み上げて、その日の夕方に二番手入れをして、翌日まで寝かせてから外に出して冷まします。それを樽に入れて、水と塩を混ぜたら、味噌の仕込みは完了。この冬に仕込んだ味噌は、来年の8月〜10月頃には食べられるかな」。


完成したお味噌は東白川村の道の駅や産地直送市場で小分け販売。味噌樽ごと預かって1年保管しているものもあるそうです。樽ごと預かる場合は、樽と一緒に大豆やお米を持ち込んでもらい、その材料で作ることが多いのだとか。「100個くらいの桶を預かっていますね。翌年用の味噌を仕込むときに残りのお味噌を樽ごと引き取ってもらうんですけど、そのついでに新しい桶を持ってきて翌年分を頼んでいく人も多いのよ」。


味噌づくりのバトンを若い世代へ
昨年までは松岡さんをはじめとする70〜80代のお母さんたちでやっていた味噌づくり。体もきつく、「もうやめようか」と相談していたところに、村の人の紹介でお手伝いとして参加したのが小林さんでした。「僕は東白川村に移住して9年目になります。食や発酵に興味があるという話をしていたので、声をかけてもらったんです。そこから他の農業移住者にも声をかけて、若いメンバーが加入することになりました。普段はトマト農家をやっている人もいますね。夏は収穫期で忙しいけど冬は暇だからと、手伝ってくれています。重いせいろを運んだりするので、力のある若手は喜ばれますね。ただそれも、松岡さんたちが支えてくれるから。松岡さんは本当にすごいです」。松岡さんも「若返りができたので、正直ホッとしました。受け継いでくれる方がいるのはうれしいね」と目を細めます。


「たまり醤油」や「麹」
発酵食品が育んだ食文化
味噌づくりの過程でできる「麹」やこの地方独特の「たまり醤油」は、この地域の食文化と強く結びついています。「越原大豆加工組合では醤油も作っています。大豆・塩・小麦を仕込んだ樽の中に、竹でできた『ス』を突っ込んでおいて、そこにたまってきた液体を漉して作るのが『たまり醤油』。この地方では、卵焼きや鮎の塩焼きに風味づけしたり、お吸い物や五目ごはんに使ったりします。この辺りの伝統料理の『にごみ』には昔から『たまり』を使っているわね。大根や里芋、牛蒡、にんじんとかいろんな野菜を入れて、出汁と醤油だけで味つけ。昔はお祝い事でも、お葬式でも、お祭りでも、人集めしたときによく作っていたのよ。麹はおうちで甘酒にして飲んだり、魚を漬け込んだりしていましたね。この辺では昔から、甘酒に乾燥したスルメを漬ける習慣があるのよ。岐阜は海がないから、塩漬けにした塩辛い魚が来るの。鮭でも鰹でも鯖でもしょっぱかった!それを甘酒に漬けると塩気がちょっと抜けるのよね。まろやかになっておいしいのよ。それが、正月の料理やお客様にお出しするごちそうだったの。魚以外では、鶏肉やうさぎ肉の臭みを消すのにも使っていたわね。昔は冷蔵庫や冷凍庫がなかったでしょ?だから、保存が効くように、すこしでもおいしく味わえるように工夫していたの」。


伝統の味噌づくりを未来へつなぐため
新たなチャレンジを続ける
伝統を守るだけでなく、新しいことにもチャレンジしていきたいという松岡さん。「テレビで味噌のことをやっていると、気になるから見ちゃいますね。今年は高山地方の味噌づくりを参考にして、豆を早く蒸して冷ましておいたの。そうしたら前は半日くらいかけていた作業が、2時間くらいで済んだのよ。今まで40年以上もやってきて、まだ新しい発見があるの。奥が深いよね。豆だけを使った『豆味噌』にも挑戦してみたいと思っています。自分1人ではできないけど、人手があるといろんなチャレンジができますね。ほかにも、去年は役場から頼まれて、20人くらいに麹味噌作りを教えました。結構評判が良くて、おいしかったってみんなに言われたの。去年は小売用の味噌の在庫がなくなってしまったので、今年は味噌の生産量を少し増やそうかと思っています。道の駅で買ったのをきっかけに組合のことを知って、名古屋や都市部からも送ってほしいという連絡があるんです。『子供がおいしいって言って、おっぱらのお味噌で作ったお味噌汁だけはおかわりしてくれるんです』という方もいて、うれしいですね。この室も、今からこれだけの施設を作ろうと思っても作れないから、ここは絶対に村の財産として未来につなげていきたいと思います」。
松岡さん、小林さん、そして数えきれない人たちの手によって紡がれてきた越原の地味噌には、自然と人、歴史と未来が交わる深い絆が息づいています。


山間のひんやりと澄んだ空気が立ち込める発酵部屋で、次の味噌がそっと息を吹き込まれる頃。世代を超えて受け継がれる味噌づくりのバトンは、若い世代の手にしっかりと握られ、また新たな味を紡ぎ始めます。ひと粒の大豆が味噌となり、伝統料理『にごみ』(※1)を囲む食卓に咲かせる笑顔。この地で育まれた伝統は、これからも変わらず、越原の山水とともに流れ続けていくことでしょう。
※1にごみ・・「煮込み」 大根、人参、ごぼう、里芋、椎茸、アゲ、豆腐、チクワ、こんにゃく、鶏肉などを細かく切って一緒にたまりで味付けして煮込んだもの。
WRITER
吉満 智子(よしみつ・ともこ)/ ライター
愛知県出身、岐阜県御嵩町在住。結婚式場と人をつなぐ仕事をメインに活動中。「ご縁を結ぶ」様々なかたちを目の当たりにし、その根っこにある「人を大切にする想い」の普遍性にしみじみする日々。御嵩に移り住んで感動したのは、徒歩圏内に蛍が飛び交うさまを見られ場所があるということ。守るべきものは、今この瞬間だと実感。
文: 吉満 智子(o-hana)、写真:黒元 雅史(STUDIO crossing)
Posted: 2025.02.09