広葉樹林を育て、豊かな環境を未来へとつなぐ
Posted: 2025.02.26
岐阜県加茂郡白川町で、落葉広葉樹を植える活動を行なっているNPO法人「美濃白川どんぐり会」。豊かな山を守り、水源地の保全や建築用の木材の確保を目指すとともに、地元の子どもたちや都市部からの農業移住者との交流や共同作業にも力を注いでいます。そんな「どんぐり会」の中心となって活動している安江さん、角替さんにお話をうかがいました。
PROFILE
安江定夫(やすえ・さだお)さん
NPO法人「美濃白川どんぐり会」副理事長。白川町出身、小学校の教員時代から、岐阜県内で子どもたちとの自然観察活動を開始。現在も白川町内の3つの小学校で環境学習を担当している。2012年にNPO法人どんぐり会を結成し、主要メンバーとして活動中。
角替研二(つのがえ・けんじ)さん
NPO法人「美濃白川どんぐり会」理事。静岡県出身。30年ほど前に大工を志して白川町黒川に移住。木造建築に携わる中で、広葉樹を増やすという目標に共感し、NPO法人どんぐり会に参加。


放置されたヒノキ林を、落葉広葉樹の林に変える
東濃ヒノキの町として知られる岐阜県白川町で、落葉広葉樹を植林する活動をしている「美濃白川どんぐり会」。実際にどういったことを行なっているのでしょうか?「山主さんから頼まれた場所を整備して、コナラやヤマザクラ、カエデなどの落葉広葉樹を植林するのが主な活動です。時にはこちらから『この場所を整備して植えさせてほしい』とお願いすることもあります。白川町はヒノキが多すぎて、町の面積の半分くらいがヒノキの人工林なんですよ。ただ、ヒノキは植えても採算が合わないもんだから、山主さんは切り出した後に植林をしないで放置しちゃうんです。そういったところに広葉樹を植えて、豊かな自然環境を作る活動を行なっています。 」


温暖化による洪水を減らし、建築資材にもなる広葉樹
もともと小学校の教員だった安江さんは、子どもたちと一緒に自然観察をする中で、近年の環境の変化が気になっていたと言います。「最近は温暖化が急激に進んで、この辺りもすごく雨が降るんですよ。ところが手入れの行き届かないヒノキ林には保水力がないもんだから、水が土に蓄えられずに全部川に流れ込んでしまう。川の流量が安定せず、ミネラルも少ないので、魚や水生生物も住めないんです。だからヒノキ林ではなく広葉樹の林が必要だと考えていました。また、2010年頃に家を建てたとき、担当してくれた工務店の大工さんが『住宅の床などに使う資材が足りない。コナラなどの落葉樹の建築材がほしい』と言ってみえたんですよ。ちょうど2012年から『清流の国ぎふ森林・環境税』が始まって、植林に補助金が出るようになるということで『白川で植林活動をやってみないか』という話が持ち上がったんです。そこで、その工務店さんに相談して、2012年にNPO法人を立ち上げて活動を始めました」。


会員は企業も含め約100名。町外から若い人たちの参加も
美濃白川どんぐり会には、角替さんをはじめとする建設関係者や、農業移住者、県外の人たちも参加しています。「白川町の建築組合に加盟している企業も15社参加してくれています。建築資材にもなる広葉樹を育てるためのものですからね。会員は全部で100人弱ですが、普段から活動しているのは10人くらい。植樹の時は地元の小中学生をはじめ、親子連れや町外の人も参加しくれるので人数はもう少し増えますね。白川町に農業移住している方や、外国人の方も参加してくれて、SNSで情報発信もしてくれています」と角替さん。

「若い人たちが参加してくれると活気づきますね。以前大学の研究者の先生が来られておっしゃっていたのですが、農業移住者がこうした地域の活動に参加しているのは珍しいそうです。会員の方のSNSで興味を持って、『初めてだけどやらせてください』という方も来られました。植樹をきっかけにして毎年白川へ来てくれる方もいるんですよ」と安江さんはうれしそうに語ってくれました。


植えてから数十年、「木」と「林」を育て続ける
もちろん、活動は「木を植える」ことだけではありません。「育てていく」ことも必要になります。「1回の植樹で100〜150本くらい植えますが、次の春になると一斉に雑草が生えてきて、それを刈らないとせっかく植えた木が草に負けてしまうんです。大きく育って、下刈り(雑草や雑木を除去する作業)をしなくてもよくなるまで、最低5年くらいかかります。今まで植えたところが15箇所くらいあるので、週に1回ずつ集まれるメンバーで集まって、順番に下刈りをしています。下刈りを続けていると、どんどん草が生えなくなってくるんです。もちろん2人だけでは絶対にできないので、下刈りももっと参加者がほしいですね」。


補助金を活用し、将来は木材としての利用も目指す
現在は、必要な資金は補助金でまかなっているとのことですが、木が育てばキノコの原木や建築資材として販売し、山主さんに還元することも目指していると言います。ただ、それは当分先のこと。「実際に資材として使えるくらいに育つまでには数十年の時間がかかります。毎年コツコツ植樹して、下刈りをして育てていって、キノコの原木なら15~20年。建材として少しずつ使えるようになるには30~40年。私たちの世代だけでは無理だね。私たちより10〜20歳若い人たちも参加してくれているので、引き継いでいけたらと思っています」。現在は県からの補助金、白川町役場の緑化推進補助金、ふるさと納税によるクラウドファンディングが主な収入源となっているそうです。「当初はボランティアで作業をしていたけど、とても追いつかないので、作業をした人には少しでも謝礼を支払っています。そのほか、草刈り機の刃やガソリンにも費用はかかるので、補助してもらえるのは助かりますね。ここ数年はニホンジカが増えて、植えた苗木の食害の対策で植樹地全体と防獣柵で囲う必要があり、その資材の購入も補助金に頼っています。」。


培ってきた知恵を、未来を生きる子供へ託す活動も
美濃白川どんぐり会では、植林活動のほかに子どもたちとの環境学習なども行なっています。安江さんは教員を退職した後も自然観察活動を続け、現在も白川町内の3つの小学校で環境学習を担当しています。「白川町内に残っている『里山林』に連れていくこともあります。そこはかつて暮らしのために活用していた山で、針葉樹のアカマツ、広葉樹のコナラやヤマグリなどの混交林が、管理されて今も残っている珍しいところです。『この木を薪にしたり、シイタケの原木にしたりして活用していたんだよ』ということを説明すると、興味を持ってくれる子がいるんですよ。私は今75才だけど、今まで積み重ねてきた知恵を子供たちに伝えていくのは楽しいね。植林に参加した子どもたちの中には、林業について本格的に学ぶために、加茂農林高校や岐阜農林高校へ進学した子も何人かいます。生まれ育った地域の環境に興味をもって、真剣に取り組んでくれる子どもがいることで、未来への可能性が広がりますね。まずは知ってもらう、興味を持ってもらう。やがては里山を守る担い手になってくれるのが理想です。どんぐり会では、地元で採れたドングリで苗木を育てる事業にも取り組み始めていて、子供たちも巻き込んだ活動にしていきたいと考えています。そういう意味では、文字通り少しずつ子どもたちに種を蒔いている、という感じですね」。


山から海へ、現在から未来へ。つながっていく想い
将来的に、美濃白川どんぐり会はどのようなゴールを目指しているのでしょうか。「白川町は半分くらいがヒノキの人工林ですが、それを半分くらいに減らして広葉樹林にしていきたいですね。ヒノキ林は今では放置されているところも多く、木が育っていない。広葉樹を植えて、使えるようにすることが大事だと思います。ヒノキを減らして落葉広葉樹を植えることで、ミネラルたっぷりの水が川へ流れます。そうすると、藻が育って生き物も増える。川が豊かになれば水質が良くなって、伊勢湾の魚も増えるんですよ。山と海はつながっているんです。

ここには、三重県の漁業協同組合連合会からも毎年植林に来ています。伊勢湾の魚を増やしたいから、上流にある白川町に落葉樹を植えにくるんです。会社で広葉樹の森を作る活動をしている企業もあります。そういう企業が増えていくといいですよね。昔の人は、『売れるから木を植えよう』というだけで、自然環境がつながっていること、遠く離れた場所にも影響があることを知らなかったと思います。でも今は、学問として仕組みがわかっているので、対策が打てるし、未来へつなげていくこともできます。そういうことを子どもたちにも教えてきたいですね」。安江さんや角替さんの目は、里山の木々を通して遠く未来を見つめています。
WRITER
吉満 智子(よしみつ・ともこ)/ ライター
愛知県出身、岐阜県御嵩町在住。結婚式場と人をつなぐ仕事をメインに活動中。「ご縁を結ぶ」様々なかたちを目の当たりにし、その根っこにある「人を大切にする想い」の普遍性にしみじみする日々。御嵩に移り住んで感動したのは、徒歩圏内に蛍が飛び交うさまを見られ場所があるということ。守るべきものは、今この瞬間だと実感。
文: 吉満 智子(o-hana)、写真:黒元 雅史(STUDIO crossing)
Posted: 2025.02.26