千年後も変わらない里山のある暮らし。持続可能な未来を考える

【東白川村の風土を伝える「茶」の若き担い手・茶師の田口雅士さん】

東白川村のお茶を「まもりたてる」
若き茶師の五感

Posted: 2021.10.15

INTERVIEW

PROFILE

田口 雅士(たぐち・まさし)

岐阜県加茂郡東白川村の茶農家に生まれる。農林水産省茶業試験場(現・野菜茶業研究所)の研究生として学んだ後、静岡の茶商を経て東白川村の(有)新世紀工房へ就職。茶農家として良質な茶葉を生産しながら、茶師として茶商品の開発・販売に携わっている。

「美濃白川茶」発祥の地・東白川村では、山の斜面に茶畑が点在。

東白川村の紹介

「日本で最も美しい村」連合(NPO法人)に加盟している東白川村は、岐阜県東部、美濃飛騨山地に位置。標高1,000m前後の山に囲まれ、村域の90%を山林が占めている里山です。

清らかな水と澄んだ空気が心地よい東白川村を訪れると、あらゆるところで茶畑を目にします。この村では、過去10回の農林水産大臣賞、天皇杯、日本農業賞を受賞した高級煎茶「東白川茶」が生産されています。昼夜の寒暖差が激しい山あい・東白川村でお茶づくりが始まったのは、約450年前。蟠龍寺(明治の廃仏毀釈で廃寺)の住職さんが「薬」として宇治から茶の実を持ち帰り、栽培を奨めたのが始まりだと言われています。

お話を伺った茶農家の4代目・田口雅士さんは、東白川茶にとって欠かせない若き担い手のひとり。生産者としての顔だけでなく、「美しい東白川村の茶園を100年先に」を理念に茶製品を開発・販売する茶師として、東白川茶を多くの人たちに親しまれるようアプローチする表現者として、村にとってなくてはならない存在です。

スタートは「茶農園の後継者」という意識ではなく、義務感でした

清流白川沿いにあり、朝霧の立つ特有の気候風土が香り高くすっきりとしたお茶を生み出す東白川茶。田口さんの祖父が山を切り開き、通称「ぐるぐる茶園」を作ったのは約60年前のこと。「高校を卒業するまでは、茶園を継ごうとは全く考えていませんでした。きっかけは、高校の時の進路相談で先生が『農林水産省茶業試験場(現・野菜茶業研究所)』(静岡県)を紹介してくれたことです。頭の片隅では、長男だし、なんらかの形で継がなければ…という義務を感じていたのでしょうね。2年間、研修生としてお茶の歴史や品種・機能性などを幅広く学びました。ただ、ここでの1番の収穫は、仲間の存在でしたね」と田口さん。全国から集まった茶農家や茶商の後継者と出会い、同じ境遇の人たちの存在が田口さんの刺激になったのです。「茶業を背負っていくのは自分ひとりじゃない。全国に仲間たちがいる。それがやりがいとなって、茶業をやっていこう!と固く決意したのです」。今でも、各地で活躍している仲間たちと連絡を取り合い、アイデア交換や環境対策について共有する関係性が続いています。10代で知り合った仲間たちの存在が、ぼんやりとしていた田口さんの未来を決定づけたのです。

茶農家の後継者としての責任感だけではなく、お茶の奥深さに魅了されたことが田口さんの原動力に。

標高500mの「山のお茶」ならではのキリッとした味わいの東白川茶。

地元の食文化と密接にかかわる

「茶葉」の魅力に取りつかれた10年間

研修生として2年間学んだ後は、静岡の茶商に就職し、純粋に「お茶」の奥深さを楽しんでいた田口さん。品種や美味しい茶葉の育て方を研究したり、文化を深堀したり…。中でも、その土地の文化や風土、食文化とお茶が密接に関わっていることに興味を覚えたそうです。

「お茶は生産地によって特徴が大きく異なります。東白川茶は標高500mで育った『山のお茶』。鹿児島や静岡など穏やかな海沿いで育つお茶とは土も気候も違うので、風味が全然違うのです。そして、不思議とその土地で採れる食物や食文化とマッチする味わいになるんですよね。例えばさつまいもが特産の鹿児島では、うま味のあるお茶になる。このお茶が、甘いさつまいもとの相性が抜群なんですよ。そして、冬が寒く漬物と一緒にお茶を飲むことが多いこの地方では、香り・うま味・渋み・苦みのバランスがよくキリッとした味わいに。その土地に生きる人たちの生活と共に、お茶がある。そういうことを追求するのが楽しくて仕方がありませんでした」。

一方で、近年「日本茶カフェ」が注目されてきている環境も田口さんの好奇心を後押し。産地や品種ごとの味の違いが専門家でなくとも気軽に体感できるようになり、東白川茶を知ってもらうチャンスが広がってきているのを実感。いかに美味しいお茶を育て、美味しく淹れ、飲んでもらうのか。お茶についてとことん考察し、試行錯誤した10年間を経て、田口さんの視野は広がっていったのです。

お茶を純粋に楽しむ10年間を経て、後継者不足や畑の荒廃に向き合う覚悟が生まれた。

東白川村の人々が受け継いできたものを守りたい!という想いは年々強くなっていく。

やがて芽生えた「土地の恵み・環境・産業を受け継いでいく」自覚

お茶と向き合った10年間。その先にあったのは、「この土地の産業を守っていく」という田口さんの強い覚悟でした。現在の勤務先である新世紀工房が発足するタイミングで東白川村へ戻り、後継者不足や畑の荒廃を目の当たりに。「茶農家の後継者として」ではなく、「土地の恵み・環境、先祖から受け継いだものを守りたい。この土地の産業を守っていかなくては」という想いが年々強くなっていったそうです。そして現在、東白川茶を生産する茶農家として、新世紀工房の茶師として、二足の草鞋で東白川茶の品質向上と認知を高める取り組みを行っています。

東白川村の第三セクターである(有)新世紀工房では、茶師として東白川茶の魅力を最大限に引き出す活動を。

約60年前、祖父が山を切り開いて作った「ぐるぐる茶園」4代目として、生産者としても茶園に立ち続ける。

茶農家として「お茶と対話する」時間を大切に

繁忙期は5月のはじめの新芽摘みから荒茶加工までの夏ですね。あとは1年かけて良質な茶葉が育つよう管理していきます。「大切にしているのは、茶葉と向き合う時間。最近は茶葉の生育具合を通して、自然の警鐘を感じることが増えてきました。著しく変化する気候に合わせて、上質な茶葉を生産し続けられるような対策を立てることが急務ですね」と表情を曇らせます。霜や長雨による病気に対応するため、土や肥料を見直し、剪定の仕方を工夫するなど、試行錯誤の連続。これは田口さん個人としてではなく地域全体で取り組むべき問題なので、組合で話し合い、知識共有をしながら取り組んでいるそうです。先祖から守り継がれてきた茶園を、この土地の産業を守りたい!その想いを胸に、今日もお茶と向き合っているのです。

作る×売る×表現する。
3つの立場から東白川茶の魅力を発信

茶農家の「作る」努力と、茶師として「よりよいお茶を飲んでもらう」商品づくり。それを掛け合わせ、現代のニーズに合わせた商品開発に田口さんは携わっています。勤務する新世紀工房では実際に、村の茶農家から仕入れた荒茶をブレンドして製茶し、「茶蔵園―さくらえん」ブランドとして30種類以上の製品を展開。

また、東白川茶を使ったプロダクトの監修にも尽力しています。「添い」「美濃加茂茶舗」など、東白川茶の魅力に惹かれる若者たちの熱意に応え、商品を監修。「ビジネスありき」の商品化ではなく、東白川茶のよさ、美味しさ、価値をまず一番に理解してほしい。それがビジネスに繋がってほしいというスタンスで寄り添っています。商品化を行う企業には、まずは茶園へ案内し、良質な茶葉について情報を提供。そうすることで、各企業が自信を持ってカスタマーへ東白川茶を提供できるようになり、接客トークに磨きがかかると考えるからです。そして、品質を担保し続けてもらうために前のめりに関わっていくのが田口さんのスタイル。

全国各地で行われるシンポジウムにも積極的に参加し、東白川茶の味わいを知ってもらう活動も行っています。茶業界へ東白川茶の味わいを広めるために、東京で茶会を開催したことも。その結果、「東白川茶」の高い品質が評価され、関東からお茶関係者が茶園を見学に来るなど認知が増えてきています。

地道かつ丁寧な田口さん流【普及活動】

インターネットやSNSを活用すれば、気軽に世界中の情報を手に入れられる今の時代。情報に単に触れるのではなく、体感してもらうことで東白川茶の魅力を発信していきたい。それが田口さん流の【普及活動】です。

勤務先である「新世紀工房」でブレンドしたお茶や茶製品は、「道の駅 茶の里 東白川」で販売しています。美味しいお茶の味わいを知ってもらうために試飲も実施。「本来、この土地の食文化に合うお茶なので、地元・加茂郡の人たちにこそ嗜んでほしいと思っていますが、実際は名古屋のお客様が多いですね。東白川茶は、茶葉の生産量だけでみると静岡には遠く及びません。わざわざ名古屋や首都圏など遠方へ売らなくても、地元の人たちに日常的に味わってもらえれば十分やっていけるぐらいの供給量なのです。『東京で認められているお茶だから気になる』という逆輸入的な発想ではなく、もっと地元の人たちに認められ、尊ばれ、愛される存在になることを目指しています」。

その試みのひとつとして、色々なブレンドのお茶を飲み比べして魅力を知ってもらうお茶会を実施。「お茶は野菜と一緒で、生産者の顔がわかり、畑を見に行くことができるんですよね。コーヒーやコーラではそういったことは難しいので、飲物の中ではかなりレアだと思うのです。生産者の顔が見えるからこそ得られる安心感が美味しさに繋がり、リラックスできる。そんな存在になれるよう、今後も活動していきたいですね」。

田口さんは現在40歳。後継者不足を肌で感じていますが、冒頭で触れたように、田口さんは決して小さい頃から茶農家を継ぐと決めていたわけではありません。「先祖が守り育ててきた茶園を守っていく。それが当たり前。そんな頑固さや精神力を、おじいちゃんの背中から学んだ最後の世代なのかもしれませんね、僕たちは。情報があふれる今の時代、守り続けていくことの難しさ、技術の伝え方も全く違うものになっていくと思います。『守りたい』という想いだけでなく、それをやり遂げてみせる。『有言実行』になるように、これからも試行錯誤していきたいと思っています」。

茶農家と茶師というふたつの顔を併せ持つ田口さんだからこそできる、次世代への繋ぎ方。それを模索しながら、茶園とこの土地の産業をまもりたてる田口さんの活動は、これからも目が離せません。

WRITER

吉満 智子(よしみつ・ともこ)/ ライター

愛知県出身、岐阜県御嵩町在住。結婚式場と人をつなぐ仕事をメインに活動中。「ご縁を結ぶ」様々なかたちを目の当たりにし、その根っこにある「人を大切にする想い」の普遍性にしみじみする日々。御嵩に移り住んで感動したのは、徒歩圏内に蛍が飛び交うさまを見られ場所があるということ。守るべきものは、今この瞬間だと実感。

文: 吉満 智子(o-hana)、写真:黒元 雅史(STUDIO crossing)

Posted: 2021.10.15

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