千年後も変わらない里山のある暮らし。持続可能な未来を考える

【聞き書き 加藤 一昭さん】

「狩猟」という趣味

自己紹介

 加藤一昭、72歳、ここ黒川で生まれました。息子が3人いて、今は妻と二人暮らしです。学校は中学、高校と名古屋、大学は東京です。黒川には中学までしかなくて高校はなかったから、どっかよそに行かなければならなかったからね。中学の時に名古屋の親戚のところへ行ったような感じ。大学は親父が林業をやってたもんで、東京農業大学へ入り林学を学びました。仕事は家業を継いで道木林業(どうぎりんぎょう、会社)を営んで、そのかたわらで猟をしたり、ボランティアで有害鳥獣駆除をしたりしてます。今は白川町猟友会会長もしてるね。

猟師の経歴、動機

 猟師になったのは小さい頃からおやじがやっとったもんで、中学生ぐらいから山へ一緒についてったんやな。中学は名古屋やったから、冬休みにうちにかえってきて、ちょうど狩猟の時期だからついて行ったんよ。その頃は鉄砲は持ってなかったけど、犬引いてついてって、猪とか向かってくるもんでよくなたで叩いておっぱらっとったなぁ。それで、いろいろ面白いなと思って始めたのがきっかけやな。23歳位の時に鉄砲の免許取って、それから49年やっとる。亡くなったおやじとは結構狩猟したね。30年以上やったんやないの。おやじも75歳ぐらいまでやったんかな。

狩りをする山

それぞれの狩りの楽しさ

 狩猟は、結局趣味の世界やね。だからまあ自分が楽しめばいいもんで。狩りの楽しさは、撃った瞬間の快感とか、人それぞれいろいろある。当たりだすと面白いけど、外すとつまらんな。獲るのが好きな人もいれば食べるのが好きな人もいるね。食べてやることは動物に対しての最大の供養やな。

無二の味、おいしい食べ方

 猪の味はな、そりゃ少しは獣臭いよ。臭いのもある。交尾期を過ぎた1月~2月ごろの雄は、ものすごい痩せててもうすごい臭い。けど交尾前はみんな結構肥えてるから、猪の場合は脂があってまあまあ食べれるな。猪の脂は豚のとはちょっと違うな。豚のはトロンとしとるけど、猪はシャリっとしとって歯ごたえがある。あとほんのり甘い。12月が一番猪の脂があっておいしい時だから、その時になるべく獲るようにしとるよ。1月になると猪も慣れて、狩場のいいとこおらんくなっちゃうしね。ただ、今は熱豚(豚コレラ)が流行ってるから肉を売ったり、あげたりはできんけど、自家消費なら大丈夫やね。
 鹿肉はこのちょうど背ロースっていうか 背中の肉がおいしいもんで、鹿刺しとかで食べる。あまり炙ったりとか、熱を加えると肉自体が硬くなっちゃうから、なるべく生で食べるとおいしい。生でもそのまま食べるとあかんもんで1回冷凍して、虫とかいろいろいるもんでそれを殺菌して食べるといい。猪と違って鹿肉は売ってるよ。

猪、昔は貴重品

 昔は猪が少なかったから獲れればすごいことでね、猪肉は貴重品やったね。獲っても猟師さんで分けずに郡上(ぐじょう)市に持ってって売ったりしたな。1頭10万円ぐらいで売れたね。昔のお金やとすごいね。それぐらい価値があったんやな。まあ最近は数が増えちゃって価値も下がってきちゃったけどね。

一口に猟と言えども

 猟は網猟、罠猟、鉄砲使う猟とかいろんな猟の仕方がある。ここらへんでやる猟は「巻き狩り」やな。罠猟もあって、罠猟だけやる人もあるし、鉄砲と罠と両方取っとる人もあるし人それぞれ。あと有害鳥獣駆除だと、はこ罠とかくくり罠やね。くくり罠はわっぱをつくってそこへ足踏むとパンって締まるような感じで、それを仕掛けておく。ただ、かかっとれば始末しなあかんで、ちゃんと定期的に見なあかんよ。そのまま死んで骸骨になったらあかんでね。

猟期間

 狩猟期間は11月1日から3月15日までで、鉄砲は11月15日から3月15日まで。ほんとは2月15日までやけど、岐阜県は1か月間は鹿と猪は獲っていいですよと言うことで延長されとる。夏場は有害駆除でやるけど、暑いから犬も人間もバテてしまうしなかなか獲れない。

弾を使い分ける

 散弾銃とライフル銃があって、散弾銃は薬莢の長さが6㎝ぐらいで直径1・5㎝ぐらいの弾で大きいんやな。それを弾倉へ入れて撃つ。
 ライフルは細長い弾で先が尖ってるやつやな。ライフル銃は、射程距離が長いもんで遠くまで飛ぶ。散弾銃でもスラッグ弾っていって1つの弾だけが行くやつと、弾がいっぱい広がる弾とかいろいろある。だから、4つ足(鹿、猪など)を撃つ弾は貫通しんとあかんで、スラッグ弾をつかって、鳥なんかを打つ場合は小さい粒がパーッと広がる弾を使う。散弾では威力がないもんで、猪なんかは当たっても死なないね。銃の撃てるときは日の出から日没までだから、夜は撃っていけないよ。

「巻き狩り」というゲーム

 巻き狩りっていってな、10数人でチームを組んで、何キロもの山で獲物を囲んで狩りをする。それぞれ持ち場があるんやね。
 ゲームをするのは、この頃は多くなって1日に3回ぐらいやな。ゲームの前に「山見(やまみ)」っていって猪がどっちからどっちへ行っとるとか、足跡を見て回らなあかん。それを朝7時頃から10時頃まで、別々のところを猟師さんごとに見て情報交換する。猪の場合はな、夜行性やもんで夜活動して、餌なんか食べて朝は寝る。だから山を朝ずうっと見てって、どこに寝ているかっちゅうことを前もって調べるんや。そして猪が多分ここにいるやろうということで、それからゲームが始まる。

痕跡を探す

 狩りの仕方は鹿も同じようなもので、山には獣道っちゅうのがあって、逃げてきた時にだいたいそこを通る。だから寝とるところを囲むように、獣道に猟師さんたちを待たしとくの。そのあと寝とるところへ犬を駆けて(犬が駆けるように解き放って)、猪、鹿を起こして追い出すんや。その逃げてきた獲物を、待ってる人が撃って仕留める。終わったらマイクとかGPSを頼りに犬を回収するんや。仕留めた獲物はロープを使ってみんなで引き出したり、担いだりして道路まで出して、そっから車で猟師小屋まで行って解体する。解体してさばいて、みんなで分けたりするな。
 1回のゲームは1時間あれば十分やね。犬が早く猪を見つけて追い出してくれればゲームは早い。早い時は10分ぐらいで猪が出てくる。それを撃てば終了、逃がしても終了。逃がしても、弾がどっかに当たってるとその手負いを犬が捕まえに行って、また止めるんやね。そうしてまた撃ったり、そのまま逃げたり、その都度いろんなことが起きるな。そうゆうことは面白いけど、猟師さんはみんな一生懸命やな。
 1日いても獲れん時もあるし、獲れれば1日に2、3匹獲れる時もあるし、いろいろやわ。だから獲れるのは平均で10日行って1回ぐらいの確率やないかな。

猟師仲間との作戦会議、反省会

ミスは酒のツマミ

 携帯は山ん中は電波が入らんから、みんなアマチュア無線の免許を持っとる。勢子(せこ)ちゅう猪を起こす人がおってな。その人が無線で猪が「起きたぞー」って言って、マチ(待機して獲物をしとめる人)の人は聞いとるわけ。で、「誰々さんのほう行きよるぞー」って言うと、誰々さんは、「いつ来るか、いつ来るか」ってビクビクして待っとる。そんで来たら、「来た来た!」っ言って喜んで撃つわ。その時外れるとショックでショックで。みんなに「おい、なんで外したんや」言われるしなー。いい酒のツマミで、いっぱい飲んだ時に言われる言われる。
 まあそんな楽しみやわ。へっへっへ

犬は欠かせない

 狩りで一番欠かせないのは犬やね。人間じゃ猪を追い出すのが大変だからね。訓練は飼ってる人がして、ちゃんと狩りできるようにようにしてくんやけど、いい犬ができるかできんかはその犬の素質もあるし、なかなか難しいな。いい犬は猪に追いついて、噛みついて、止めちゃうもんで、後から猟師が行って撃つだけ。そういういい犬がいれば簡単に獲れちゃう。
 うちも親父の代からだいぶ飼ったんやけど、やはりある程度猪を止めてよくやる犬は早く死ぬわ。猪にやられても牙が入らんように、今は防護服着とるけどね、怪我するたびに獣医連れてって、縫ったり、いろいろ処置してもらったよ。それは毎年あるわ。死んでまったら悲しいけど、しょうがないな、それは。

猟犬のポポ

猟犬のナナ

山と長年の経験

 猟師はやっぱり山を知らなあかんわ。猪の習性とか鹿の習性をある程度知らんと、なかなか居場所を見つけれんもんで、猟師は長年の勘が大切。山で、遠いとこに猪が寝そうなとこがあるかっちゅうことを知りながら、獣道のどことどこが繋がってる、そうゆうことをみんな頭に入れとかんと、むやみに山歩いただけでは何にも分からん。落ちてるフンとか、そうゆう痕跡を見つけながら探してくんやな。
 あとは足跡。飼い付け(餌を撒いておびき寄せること)すると、獲物がやって来たり、戻って行ったりいろんなことをしたりする。その時にこれは帰ったとか、行ったとか、どっちが先かちゃんと見分けなあかん。他には獣道を通った時に1頭通ってどっち行っとるか、これは群れで3頭来てどう行っとるかっちゅうことを、ある程度把握できるように見分けることが、猟で一番大事やわ。それができんと猟にならへん。

獲物の飼い付け

 見分け方は、おんなじとこ通るもんで、来た足のとこに戻ってく足が乗っとれば来たのが先やし、その反対に来た足が乗っとればまだ猪とかがおるやろうし、あとは木の葉の返り方を見て、木の葉を蹴って歩くもんだから、蹴られたほうの木の葉が返っている方向と逆の方向に進んでいるとかいろんな状況によって違ってくるんやて。だからそこら辺をちゃんと見てゆくのは、長年の経験やな。
 そうして寝てるところを突き止めて、猟をするんやね。雪の日なんかはね、足跡がよく分かるもんで、猟師さんも張り切って6時とか朝早くから歩いとるわ。まあただ、たまたま見落とす時もあるよ。狩りをした時、獲物がおらな見落としたっちゅうことやもんでな。

獲物の痕跡(足跡)

猪、鹿の生態を知る

 好きなものは、猪の場合こぬか(米ぬか)やね。あとはくず米(まい)とか、他にもサツマイモとかの芋は好きやね。そうゆうのを飼い付けのエサにしとる。鹿は芋を食べんけど、塩が好きやわ。だから夜になると、凍結防止用の塩カル(塩化カルシウム)を舐めに道に出て来とる。
 あと寝るときは、猪は「寝屋(ねや)」って丸く寝床を作るんやね。猪は、いつでも逃げれるうずくまったような体勢で寝とるな。鹿は尾根のとこにだいたいおって寝とるわ。猪も鹿も、雪降りとか雨降りの時は、岩の下とか雨の当たらないところなんかには寝るね。特に雪が多い時はそんな感じだね。

憩いの場、猟師小屋

 猟師小屋は、猟師仲間と「ますぶち園」ていう、お茶をたくさん作っている茶園の一番上のところに作ったね。猟師小屋建てる前は、解体は各自自宅とか近所の人のところに行ってやっとったよ。よううちの車庫の中でも血だらけになってやっとった。どうしても解体するには血はこぼれるし、肉の破片は残るしね。作ってから20年以上経つよ。10人ぐらいで作ったけど、今は半分以下になっちゃったなぁ。

猟師小屋へ向かう加藤さん

 猟師小屋には土間とちょっとした和室があって、土間が12畳くらいで、和室が8畳くらいかな。土間は真ん中に囲炉裏があって、しゃべり合って食べれるようになってる。解体とかはその外でやるね。

猟師小屋で歓談する猟師

解体方法

 まず皮剥かんとあかんな。次におなかから臓物を取り出さんとあかんわ。腹を割って、そっから皮剝いて、中から腸とか胃とか取り出してきれいにする。そのあと骨を取って、肉にしていくっちゅうね。足と手は取っちゃって、ばらばらにしちゃう。それで、真ん中はあばらをガっと割って、肉だけ取っとく。どこでも肉ならほとんど食べれるわね。モモが結構肉あって、臓物は捨てちゃうね。昔は腸なんかをきれいに洗って、とんちゃんやなしに猪(しし)ちゃん、まぁつまりホルモンにして食べた人もあるよ。けど、中の消化物をきれいに掃除せんと臭いもんで、洗濯機にかけて洗ったりして、きれいにしてからしか食べれないから、あれは大変やわ。

喜びと最初の成果

 いろいろなとこで、いろいろな場面で猟をしたね。撃った時が一番気持ちいいし、外れた時は悔しいし、ほんとに残念。いろんな思い出はあるけど、最初に仕留めた時のことはよく覚えてるよ。
 最初はね、まだ初めてすぐやもんで、勢子って言う犬を連れて駆って(けしかけて)、マチの人にそこへぼって(追って)やる役目なんよ。マチのところへ掛かるように犬を遣(や)って、猪を起こして、犬がぼってったんやけど、また犬がこっち戻ってきた。おかしいなと思ったら猪が飛んできたんや。んで、撃とうと思ったら今度は向き変えて反対行きだしたもんで、それを撃ったら運よく右脇のへんに当たったんや。そのあと犬が来たから犬捕まえてな。「やったー!」ちゅう感じやったな。やっぱり猪を最初に撃った時は、ほんとに感激したね。

にぎやかな昔の狩猟

 昔は鉄砲の免許も簡単に取れたし、獲物も鳥とか結構面白いものがいっぱいおったもんで、猟師さんも結構いたよ。30年ちょい前ぐらいかな、猟師は黒川地区でも50人ぐらいおったな。
 個体が減って少なくなってきたけど、昔は猪、鹿以外に鳥猟って言って、雉(きじ)とか山鳥とかを撃つ人もたくさんいた。鳥猟はな、ポインターとかセッターちゅう役割の洋犬を駆って、それが鳥がいるとこへ行くんや。ポイントって言って、おるちゅうことを主人に知らせるんやね。ほんで犬を待たせておくんやて。ほんで「よし」っていうと、犬が鳥がおるところへ行って、鳥をパパーって飛び立たせるわけ。それを狙って、飛び立った瞬間にパーンパーンて撃つんや。

時の経過と有害駆除

 昔はこの辺にニホンジカはいなかった。けど下呂市のほうから南下して来て、すごく増えてるね。山の木を剝いだり、猪も畑とか田んぼで農作物を掘っちゃって害を与えるもんで、それの駆除をする。実はカモシカもいてね、鹿より早く北から来たわ。秋はここら辺で大豆を作るんだけど、カモシカが大豆の葉っぱ食っちゃってひどい被害がある。けど天然記念物やもんで、なかなか駆除できんくて困っとるから、駆除できる頭数を増やしてほしいな。
 被害が増えたのは、堆肥用の採草地がなくなったのもあるな。昔は田んぼに草を入れて肥料にしとったわけよ。それが集落の周りはいっぱいあって、すごく明るかったんやわ。今は林になっちゃっとるから出て来やすいんやな。それと、家庭ごみ捨てるとどうしてもそれを好くね。やっぱし山で食っとるより、そこへきて食べたほうがおいしいものが食べれると動物も思うから、住宅の近くで暮らす動物が増えてくる。よく広葉樹の実がなってれば奥山にいるって言うけど、そうゆう人家近くで育ったやつは、習性的に食べれるものを知らないから奥山へもう戻らんのやて。
 そうやって被害があるから、町(ちょう)から要請で有害駆除の許可が一年中ずっと出てる。それをやらなきゃいけないのが一番大変やな。県からも、有害駆除でどんだけ獲りなさいって頭数が来るんやけど、人がいないもんでそれだけ獲れんな。

猟師不足とこれから

 今、白川町で猟をする猟師さんは、全部集めても20人程度かな。黒川の人は5人で、10分の1ぐらいになってまった。80代になったら歩けんくてできんくなるで、だんだん5、6人とか少なくなってくる。今は60歳以上がほとんどで、一番高いので僕んたのうえに75、6歳の人がおるかな。一番若いのはうちの息子やほかの猟師仲間の2代目で、20歳~30歳代もいるよ。
白川町全体の人口が少なくなってきたもんで、猟師さんが自然にいなくなってったし、やはり鉄砲の許可がだんだん厳しくなってきて、昔みたいに簡単に獲らしてくれなくなったのもあるな。猟するには、県の環境課の狩猟免許と警察の銃の所持許可証がいるんだけど、全国的にいろんな事件、事故があるもんで、警察のほうとしてはあんまり銃を持たせたくないんやな。だから銃規制が厳しい、厳しい。ちゃんと年1回検査受けて、ちゃんと何発買って何発撃ちましたか、どこで撃ちましたかっちゅうことまで、全部報告もせなあかん。そうゆうのが全部めんどくさい。そうゆうのも離れちゃう原因やな。で、歳取るとそんなことまでできやへんもんで、だんだんだんだん辞めてっちゃうね。猟友会の年齢もあがってきて、銃規制とかも厳しくなってきとるもんで、人が減ってきて、有害駆除ができなくなっちゃう。やはりそういう被害とか、被害がある地域のことはいろんな人に知ってもらいたいね。それで、そういうことを知って猟師さんになりたいっていう人が増えるといいわな。

【聞き書きを終えての感想】

 今回取材をさせていただき、はじめは緊張しましたが一昭さんの物腰の柔らかさや奥様のおいしいアップルパイのおかげでリラックスして話すことができました。一昭さんは山と共に生きているんだ、とその自然への知識の深さから感じました。僕は猟のことはほとんど何も知らなかったですが、生き物の生態から鉄砲の種類まで、様々なことを教えていただくことができて楽しかったです。
 狩猟にもついていかせてもらい、雪が残る山の中で木の風切り音を聞きながら獲物を待つ時間は、自然と一体になったようで不思議な感覚でした。今回は逃げられてしまいましたが、獲物が来るか来ないかとドキドキしたり、足跡を見つけどこにいるか探ったりすることは、まさに「ゲーム」という感じで面白かったですし、仕留めたときの喜びはものすごいものだろうと思いました。また冬至ごろのメスの猪が一番おいしかったという話を聞き、その独特の猪の脂身を食べてみたいと強く思いました。猟師小屋では鹿の角が多く飾ってあり、猟師さんたちはみんな賑やかでした。気さくに声をかけていただき話も面白かったです。ますぶち園の景色は絶景です。
 楽しい時間が過ぎる一方、今白川町での高齢化で猟師の人も減っていて、駆除も大変だというお話を聞き、この作品を通して狩猟の魅力だけでなく、そういった鳥獣被害がある地域の現状を少しでも伝えられたらいいなと思います。

PROFILE

加藤 一昭(かとう かずあき)さん

中学校から高校は名古屋市、大学は東京都に行く。中学時代は父と山について林業や狩猟の手伝いをする。卒業後昭和49年から郡上市の石原林業で下積みをし、昭和53年から実家の道木林業を営んでいる。その後東濃ヒノキ白川市場(協)や白川町林業担い手育成協議会の理事など林業の振興に取り組んできた。狩猟では、昭和51年に狩猟免許を取得し、令和元年からは白川町猟友会会長を担っている。

取材日:2023年11月日、2024年1月27日

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