千年後も変わらない里山のある暮らし。持続可能な未来を考える

【聞き書き 福田 美津枝さん】

伊深の縁の下の力持ち ~郷土料理を未来へ~

自己紹介

 福田美津枝です。昭和26年3月生まれ、74歳です。出身は美濃加茂市。高校を卒業して、栄養士になれる短大へ行きました。それから岐阜県に生活改良普及員という職業で就職し、55歳まで勤めて、退職後はこの伊深でいろんなことをやってきました。家族構成は、私と夫、同じく74歳、で息子と息子の嫁さん、それから中学3年生と中学2年生の孫がいます。
 岐阜市立女子短期大学の学科が3つある中で食物栄養学科を選んだら、栄養士の資格が取れて、その短大で学んでいるうちに、生活改良普及員っていう仕事があるっていうのを知ったの。それも資格を持って働けるっていうことで、資格を取って県職員の試験を受けて、採用されたって感じです。

生活改良普及員としての仕事

 昭和46年に私が生活改良普及員として働きだした頃はね、農家の生活が貧しいというか、普通のサラリーマン家庭や都会のように衣食住が十分じゃないっていうような状態だったの。産業として農業の生産量を上げるために農業改良普及員っていう制度があったんだけど、その農家の生活を豊かに改善するために生活改良普及員っていう制度が戦後すぐにできたらしいのね。その生活改良普及員があるって聞いて、それになろうかなと思って試験受けたら受かったので、ずっとそういう仕事をやってきました。
 仕事の内容は、農家に婦人会とか生活改善グループっていう、暮らしをよくしようと思っているグループがあって、そこへ料理講習に行った。昔農家は同じ食事ばっかりとかって、芋がとれたら芋ばっかり食べる、大根がとれたら大根ばっかり食べるっていうような食生活だって周りからみられてたの。だから、もっと農家も肉や卵を使ったりして、栄養豊かな食事ができるって、そこから生活を改善しようってことで、料理講習を頼まれることが多かった。農家のグループが公民館に集まるので、そこで料理を教えてくださいって言われるとそこへ行ったりとか、それをするために農家の人たちと打ち合わせをしたりとか。事務的なことはあんまりなかった。まあ技術的な仕事、栄養士としての。

農家の生活の安定と、生活改良普及員としての働き方の変化

 1980(昭和55)年から1990(平成2)年くらいかな。農家もいろいろあるけれど、農業だけで生活していこうとしている人たちはそのくらいからもうきちんと安定して、農業だけで生活していけるようになったと思ってます。それ以前は、作るものが限られてて、お米とか芋とか麦とかそういうものだけしか作っていなかったから、農家の生活は安定しなかったの。世の中が安定してきて、消費者の人たちがいろんなものを求め始めた。農家がそういう消費者の求めに応じたものを作るようになって、それがどんどん売れていったので、そのくらいから農家の生活が安定し始めた。私が関わってきたのはイチゴを作っていた人たち、それからトマトを作っていた人たち。そういう人たちがやっぱり安定してきた。
 農家の生活が安定してきたのは私たちの力ばっかりじゃなくて、やっぱり高度経済成長の影響もあって。農家も都会の工場で働いてる人たちも、どんな人たちでもだんだん生活が良くなってくでしょ。だから、農家の生活だけを改善する必要がないって言われて。だけどそれでクビ切られるわけではないから、新しい仕事を見つけなきゃいけない。自分たちの中で料理講習やってるばっかりが仕事じゃないと思って、生活改良普及員として生きる道はなんだろうと思ったときに、生活そのものは向上してきて電化製品も入ったり、食べるものも豊かになってきたけれど、女性の地位っていうのは全然上がってなかった。今でもあんまり上がってないけどね。旦那さんと奥さんが一生懸命働いても、収入は旦那さんの名前で通帳の中に入るだけね、奥さんは自分の自由になるお金がない。おかずを買ったり子どもの教育に回したりするお金はあるけれど、それでも自分が化粧品を買いたい、服も買いたいとかそういうお金が、いちいち旦那さんとかそのまた上のおじいさん、おばあさんに聞かなきゃいけない。いろんな仕事で同じように仕事をしていても、旦那さんの名前だけが上がっていって、自分たちはなんとかさんの奥さんみたいな感じで、自分自身っていうものがないのね。だから、女の人ももう少し社会に名前を上げられるような、そして自分たちの収入としてお金をもらえるように、女性の地位を上げていくことが必要じゃないか、生活改良普及員として農家の女性の地位を向上しようって。一人でやったわけじゃなくて、私みたいな職の人たちみんなで農家のこれからはそういうのが必要だねってことで取り組んだの。

伊深まちづくり協議会

 伊深はもともと美濃加茂市の市役所からうんと離れているところなので、なかなか行政の力が届きにくいのね。だから、自分たちでその地域を活性化できるように、そういう組織を作って頑張ってくださいって市のほうから言われた。そのメンバーになって、どうしたら伊深の町が発展するかとか、そのころ小学校の子どもの数が少なかったのね。なんとかして伊深の小学校を維持できるように、子どもを多くするにはどうしたらいいかっていうようなことも話し合うようになって、市長さんと話したりした。美濃加茂市は小規模特認校っていう制度があるのね。希望する人たちは小さな学校へ大きな学校の子どもたちが通えるように、伊深でも三和でも引き受けるよっていう制度にして、そうすると少しは子どもが多くなっていった。
 それから、田んぼ、畑を借りてそこで美濃加茂市の人に来てもらって、野菜作りをするとか、そういうようなことをやってきたり。伊深の中にみんなに知られていない歴史的なものとか、建物とか地名があるから、標柱を作って「ここは何です」っていう風に書いたり。それから、伊深に住んでいる人が知らないところを伝えていこうっていうことで、標柱を作った30か所を調べた伊深の地図を作ったりもした。

ごはん研究会

 伊深まちづくり協議会で頑張るにも、その中にもっと女性がいないとなかなか頑張れないよね、もうみんな男の人ばっかりだから。だから、じゃあ女性がまちづくり協議会の中で活躍するにはどうしたらいいかなって思って。まあ私も食物栄養学科を出て、栄養士をやって、料理講習をやってきたっていう経験があるから、だからやっぱり女性は食べるってことに関心があるんじゃないかなって思って。まちづくり協議会の中で料理を作って食べることをやりましょうっていうことで、それもただハイカラな料理を作ったり目新しい料理を作ったりするんじゃなくて、伊深、ここに昔から伝わってきた行事、食とか日頃自分たちが食べているおかずを自分たちで作りながら守っていこうって、そういう意味でごはん研究会をやりましょうって呼び掛けて、それが今に至っています。市販のものじゃなくて、自分たちで育てたものを使うことを大切にしています。
 今はね8人でやってます。まあみんなで仲良くやっていけるといいと思うし、今は市のほうからこういう人たちにご飯を作ってくださいとかっていうのがあるので、それに応えていきたいと思う。まちづくり協議会の中で行事をやるとみんなに喜んでもらいたいと思うから、ホタルコンサートの時は朴葉餅を作ったり、お月見会の時はお月見団子を作ったりしてる。そういういろんなことでごはん研究会をあてにしてっていうか、やってくださいって言われるので、そういうのをやっていけばいいかなと思う。楽しみながらやれればいいかなと思ってる。ボランティアとばっかりは言えない。有償ボランティアかな。
 学童保育の子どもたちと一緒にお料理をしたり、子ども会のクリスマス会用に子どもたちとえんねパン(伊深に伝わる焼き菓子)を作ったり、子どもたちに伊深の伝承料理を伝える活動も大切にしているの。ごはん研究会っていう形は受け継げないと思うのね。なかなか今のメンバー以上に入ってくださる人がいないから。だけど、こうやって子どもたちと一緒にやるってことは、伊深の味を、それからここでやったことを覚えててくれるから、それでいいなと思います。少しでもそういう機会に携わってくれればいいなって思ってます。

朴葉餅をつくるごはん研究会の皆さん (写真提供:伊深まちづくり協議会)

こだわって設計した伊深交流センター のキッチン

郷土料理を作る意義

 家の中でも郷土料理を作っていくと、普段は食べなくても今日はこういうときだからって言って食べてくれるし。やっぱりそういうことを、まずうちの中で私のできる限りはやっていきたいと思う。みんなもそういう思いを持ってるんやね、ごはん研究会の人たちは。だから郷土料理を作りたいって言った人たちに伝えていくことは必要かなと思ってる。多分、郷土料理は消えていくもんだと思う。これだけ仕事に対するみんなの思いっていうものも、食生活も変化してるし。コンビニで買えばいいとか、外食すればいいとか、それから新しいイタリア料理もフランス料理も、いろんなものが入ってくるから変わっていくと思うけれど、こういうものがあったんだ、食べたんだっていう記憶でもとどめてもらえればいいかなと思う。

伊深ごはん研究会で作った郷土料理 (写真提供:市まちづくり課)

ボランティアは生きがい

 まあ私が勤めてたから思うのかもしれないけれど、やっぱり仕事をすればお金がもらえるよね。で、それが自分のその仕事に対するモチベーションになったりする。もう仕事を離れてしまえば、そういうお金がもらえるっていうことはないけれど、ボランティアをやってて自分がいる役割があるなって、社会の中でなにか認められていることがあるなっていう、そういう気持ちが自分を動かす原動力になってくるのね。例えば、ごはん研究会のイベントでも段取りをして、材料買ってきたり、会場を開けたり、準備をしたりするっていうのもやってるんだけど、それはみんなが気持ちよく作業してもらうためのことだから、私がそういうことをやってあげることでみんながここでさっと仕事ができるっていうことになれば、それは私のささやかな喜びかなって。
 うちにいて何もしないで、掃除をしたりっていうことよりも、ここへ来てみんなと接するってことが、やっぱり喜び、楽しみ、そういうのに変わっていく。新しい発見や喜びに出会えるということは、ボランティアでも、普通のお友達と会うだけでも、自分が生きていく原動力になるなって思う。

大切にしている考え方

 例えば、食べるってことに関しては、やっぱり自分で作ったものを自分で食べたいと思って、畑も作ったりなんかしてるし、それはこういうの食べたいなって思ったときに、それを自分で作って食べるといいなと思ったりとか。あと、やっぱり地球に優しいってことで、洗い物とか洗濯の洗剤とかそういうものもなるべく環境に優しいものを使いたいなとか。やっぱりこんだけこう気温が上がってくるじゃない、温暖化が進んでくじゃない。自分の力って大きくないけれど、あの言葉好き。「ハチドリの一滴(ひとしずく)」。ハチドリが住んでる山が大火事になって、みんなが火事だからって言って、動物とかなんかが逃げようとするんだけど、ハチドリだけは川からくちばしに水をすくって、それで火事を消そうとして、一生懸命やるんやね。で、みんながそんなことしても何にもならないよっていうけれど、ハチドリはほんとに自分の一滴でも火を消すことができれば、それは自分にとってはとっても大切なことだって言って、ほんと一滴か二滴の水だけど、一生懸命火事を消そうとする。自分もそういう風にありたいなと思って。私一人がエコの洗剤使ったって、無農薬でやったって、地球がそんなに大きく変わるっていうこともないけれども、でも一人でもやれることがあったら、やってくべきやなと思って。自分だけでやってもなんにもならないと思わないで、自分だけでもやれることはやろうかな、やりたいなと、そういう気持ちはある。だから、編み物したりするのも、まあ今あるものは大事に、そのものが命を終えるまで使ってあげようかなって思ってる。
 これだって、普通の白い三角巾だったけど、うちにあったこんな布を縫いつけたりして。布をいらないって捨てるんじゃなくて、なんか役に立ったらこうやって作ってあげれるといいかなって思ったり。ほんとにものの命を全うしてあげるといいなって思いはある。

リメイクした手作りの三角巾

農業のこだわり

 両親は農業をずっと、特におばあちゃんの方が畑をずっとやってた。うちの旦那も退職してからお米を作ったり野菜を作ったり、私と二人でやってます。子どものころは、お手伝いはあんまりしてなかったよ。私は、まったく農業をやったことないけど、農業関係の仕事をやってたので、農家の人たちの暮らしっていいなと思って。農家へ行ったりすると、これ持ってってって野菜とか頂くし、そういうのいいなと思ったり。買ってきたものじゃなくって、自分で作ったものをあげられるっていうのはいいなと思って。私も勤めてるときはやれなかったけど、退職したら畑やりたいなと思ってた。
 農業は化学肥料とかを使わないようにしてます。私自身は使わないで、草を燃やしてできた灰を入れるとかそういうようなことで、たとえ作る作物があんまりいいものじゃなかったり、大きくならなかったとしても、畑にはそのほうがいいかなと思うし、それを食べる自分にもその方がいいかなって思って、心がけたり、ビニールで覆ったりすることもやらないでおこうと思う。栽培は難しいです。農薬も使わないでおこうと思うので、全滅することもあるけれど、まあしょうがないかな。ハチドリの一滴、あれです。そういうことを学べてよかった。そういうことを全然知らなかったら、何も思わずに過ごしていたかもしれないからね。それは、読書もあるし、映画も観たし、新聞の中に出てきたりとか、人から聞いたりしたこととか、そういうことから新しい情報を取り入れるのが大事ね。

食べたいものを育てる畑

これから挑戦してみたいこと

 ごはん研究会はね、参加してくれる人がもっと増えるといいなと、こういう活動に興味を持ってくれる人がもっと増えたらいいなと思って、あっちこっちに呼びかけはするんだけど。やっぱりまだお勤めしたりしている人たちは、なかなかそこまでいかないので、そういう人たちが入ってくれるようになるまで続けていたいなと思う。それと、子どもたちにやっぱり料理を教えていきたい、料理っていうかその郷土食を教えていきたいなと思って。今の子は郷土料理をあまり知らなくて、教えるとすごく感動してくれる。
 あとは、まちづくり協議会の活動を通して、子どもたちが増えてほしいな。移住してきてほしいし、数が増えるってこともだけど、子どもたち一人一人が元気で頑張って、次の伊深をきちんと作ってくれる、そういうことができたらいいなと思うので、伊深の歴史とか伊深に伝わってきたこととかを伝えていって、伊深っていうところに誇りをもってくれるといいなって思います。

PROFILE

福田 美津枝(ふくた みつえ)さん

美濃加茂市出身。岐阜市立女子短期大学食物栄養学科を卒業後、岐阜県の農業改良普及センターにて生活改良普及員として勤め、農家の生活の改善と、女性の自立に尽力する。退職後は、「学校サポートチーム」に所属して子どもたちの登下校を見守ったり、「伊深親子文庫」のメンバーとして子どもたちに読み聞かせしたりするなど、ボランティアとして地域の子供たちに関わる。平成21年、伊深まちづくり協議会設立とともに参加し、その後「伊深ごはん研究会」を立ち上げ、郷土料理を伝える活動に精力的に取り組んでいる。

取材日:2024年11月4日、2024年12月14日

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