千年後も変わらない里山のある暮らし。持続可能な未来を考える

【聞き書き 田口 千恵子さん】

昔ながらの、佐見だけの味噌

自己紹介

 名前は田口千恵子です。生年月日は、昭和19年4月生まれです。満80歳です。農業、百姓っていやあれですけど、そんな生活してます。
 主人がちょうど2年前に亡くなって、1人暮らしです。息子が2人いまして、1人は、各務原市に住んでますし、もう1人は一宮市におります。

今の味噌作り

 昔は、うちの前の国道のすぐ横に、味噌を作るところがあって、集落の人たち5、6人ぐらいで味噌を作っていました。個人個人で味噌を作る場所を借りて、仕込んで、自分の家へ持ってきて、自分の味噌を作っていました。その後12年前なんですけど、道路の拡張で、立ち退きをすることになって、私らどこかで続けていきたいということで、近くにあるお豆腐屋さんの裏に、新しく味噌を作るところを建ててもらって、そこで作業するようになりました。新しく味噌室を建てたら、営農組合が、何か事業をするっちゅうことで、今まで味噌作りやっとったもんで寄って、私らはお手伝いっちゅうことで、味噌作りグループを作ってやってるんです。初めましてから12年くらい経ちます。
 営農組合は、田んぼの管理を共同でやってくれる組合です。ファーム佐見っていう名前になってますけど、5つの集落を1つのグループにして。そこで、転作で大豆を作っていくんですよ。国からね、どんなけ(どのくらい)かはこういったものを作りなさいって決まってきてるんです。だから、大豆……昔はなんやったかな、麦作ったことあったね。けど今は大豆ばっかです。その大豆を利用して、こういう加工品を作ってます。昔の作り方をしてるので、他よりは、手間とか時間はかかります。
 佐見で、味噌作っとるのは今はここだけですよ。昔は、どこの集落にも、ちゃんとあった。みんな自分で作らないと、ないですから。でも今は本当に、ここだけです。

味噌と醤油が出来るまで

 私は、お味噌とお醤油を作ってます。同じもろみから、水と塩加減で、お味噌とお醤油を作るんですよ。お味噌になって、食べられるようになるのは1年かかります。大豆の仕込みを始めて蒸して、仕込んで、ほいで1年寝かせて味噌を作るんです。味噌はね、もろみっちゅう味噌のもとになるものから作るんです。もろみは、大豆を蒸して、それに丸麦を混ぜて作ります。その蒸したのを積み上げて、温度をかけて、手入れで3回混ぜて、3日間、かかります。ほいで、そのもろみに、塩と水を足して、1か月くらい毎日混ぜて、お味噌にします。1か月混ぜるのが済んだら、蓋をして、寝かしとくの。それから1年くらいはかかります。ほやけど、2年くらい寝かしたのが一番おいしいんですよ。私ら今は、大体2年くらい経ったのを販売しとるんですよ。
 醤油はね、味噌よりも水と塩をたくさん入れて、どろっとゆるく作るんですよ。それに筒を刺して、そこに溜めて、汲んで、醤油になります。この家に伝わっとる作り方をおばあちゃんから習って、そのやり方をやってるんですよ。今、皆さんがお作りになられるやり方とちょっと違うんですけど、昔のやり方を、続けてやっとるんですよ。ここだけの、ここだけの味です。

味噌室

味噌のもろみ作り

 まずは、一晩大豆をふやかして、朝来て水を抜いて、ボイラーにいれて、一時間半ぐらい蒸気で蒸すんです。大豆が大体つぶれるくらい蒸し終わったときにふやかした麦を入れて、また蒸すんですよ。麦は、洗って炒って、挽いて、粉にしたのを大豆と混ぜます。
 床にビニールを広げて、麦と、大豆を蒸したのをほぐして広げて人肌くらいに冷ましたら、味噌になる麹菌を混ぜて、それを全体にまぶして、一升マスに1杯ずつ量って入れ物に入れて、そうして、それを積んで、部屋全体に温度をかけて、一晩置きます。ストーブで、温度をかけるんですよ。で、だいたい38度くらいまでこの部屋を温めて、そうすると、熱をもってくるでしょ。温かくなって、一番手入れいうて大体朝の8時から9時ごろに1回全部混ぜて。2日目くらいからは、温度を下げるんです。空気が通る管が外につながって中に換気扇があって、これで温度を調節して、ほいであんまり暑いときは、下の窓も開けるようになっとるもんで、温度計で見ながら、毎回積み方を変えます。レンガ積みと、船積みっていう積み方をして、それを3日間、温度をかけるんですよ。一番上は何も入れないで、蓋にします。
 あとはね、3日間のうちに3回混ぜなならんのですよ。味噌作っとるのは8人やもんで、4人と4人で2つグループ作って、交代でやってます。4人みんなで手袋して、混ぜます。それを3回手入れしてやるの。ただ一升(10合)入れて広げとるだけではあかんもんで、3回ちゃんと手入れします。大体1回に7斗105㎏ぐらい仕込みます。それを、大豆がある限りやる。大豆が余った分をお豆腐屋さんから回してもらえるもんで、大豆のある量に合わせて、農協で麦を買うんです。10回やるときもあるし、大体大豆に合わせてやります。私みたいに個人的に大豆持ってくる人のも一緒に混ぜてね。
 その3日間は大変ですよ。作業そのものは簡単で楽ですけど、温度管理が一番大変です。だいたい1時間、2時間、最初はちょこっと来て、気を付けとって。私は、どっちかっていうと神経質な方やもんで、夜中の12時でも3時でもここまで温度を見に来ます。でも、来ない人は全然来ないですよ。それぞれにね、考えがあるもんで。そこは自由にやってますけど。だいたい、何日目は何度くらい、何日目は何度くらいって、みんな自覚があるもんで。で、ストーブの火を小さくするとか大きくするとか、温度計を見て調節します。昔はね、炭ですから、男の人がね、布団をここへ持ってきて、泊まり込みでやってました。でも、やるのは本当に温度の管理だけです。2日目は、半分くらい。二番手入れが終わった昼からは味噌室も空けちゃうし。
 特に2日目が大事だね。うちらが、特に温度を気にするのは2日目。なんでかというと、あまり熱くすると、もろみが、ねばっこくなっちゃう。味は変わらないんですけど。手につくようになったり、納豆みたいになったりするとあかんもんで、温度をある程度、今度は乾燥するように抑えるんですよ。でも、3日間熱を加えないと、もろみにならないもんで。2日目の夜くらいが一番神経使いますね。夜中でもなんでも、飛んできて、上着かなんか羽織ってきて温度を見ます。
 昔はどこの集落にもね、味噌部屋があったんです。けど今はもう減っちゃって、残っとるのはここだけです。昔は、味噌もたまりもね、買うものじゃなくて、自分で作らんと。私の家も、昔はもっとたくさん大豆で味噌を作ってました。今は少ないです。本当に少ないです。

味噌の保存(家)

 家の味噌を置いとるところは、家で一番涼しいとこね。味噌はやっぱり涼しい方がいいです。大豆も、野菜もなんでも、涼しい方がいいやんね。ここは陰で、日が入らないもんで涼しいんですよ。夕日がちょっと入りますけど。味噌を保存しておく容器の蓋は、二重にしてます。まず、黒い袋を被せて、1か月混ぜたもろみを持ってきて、そこへ入れて、次に塩と水を入れて、そして封をして、なるだけ空気が入らないように。
 これがたまりです。醤油の方です。同じもろみから作るけど、塩と水を多く入れて、加工してあります。混ぜて、1年経ってから、まず筒に木綿の袋を被せて、もろみの中に刺すんですよ。味噌の中にぐーっと押し込んで、そしたら、筒の中に、味噌のたまりが溜まります。それが、醤油です。醤油っちゅうか、それを私らはたまりっていうんですけどね。筒に木綿の布を被せると、細かい大豆が入らないで、きれいなたまりだけが入ります。竹で作った筒だけでは、目が粗いもんでね。今筒も、もう作る人がいないですけど。これは大きさがいろいろあって、桶に合わせて大きさを変えます。ほいで、これに木綿の布を被せます。今は木綿の布も売っていないんですよ。こういう加工は、もう作る人もいないしね。道具がある家しか出来ないです。それで、道具を買っておいて、作っています。この筒をぐーっと味噌の中へ押して、上がってこんように蓋をして、2、3日置くと、ここにいっぱいたまりが溜まるので、それを汲みあげるんですよ。ほいでまた、ちょいと水と塩を足して、一番たまりっていうのを作ったり、また残った味噌からも絞ったりして、それは二番たまりっていうんです。一番たまりも二番たまりも、味は変わらないです。でもやっぱり最初に作った一番たまりの方が、味はいいような気もしますね。昔はどこの家にもこういうところがあったんですよ。でももう無くしちゃっとる人が多いね。だって自分で作らないからね。

味噌の保存(もろ)

 今度は、「もろ」やね。保存しとくところ。このもろは、ここを始めた時からあるね。「ぼた」っちゅう、土の盛ったところを掘って、そこに味噌を貯蔵しています。で、出来上がった日にちをちゃんと容器に貼っています。今年の1月、2月とかね。これは今年仕込んだやつです。オーナー渡し用のですけど。、販売するのとは違って、1年だけ置いた味噌を分けてあげる人たちをオーナーっていうんですね。オーナーは、そのまま1年経ったので食べる人もおりますし、もう1年寝かして食べる人もおります。で、オーナー渡しで残ったのが、これね。2月13日、14日って日にちが書いてある。これを今販売しています。こっちは1年違う、令和5年やがね。こっちは令和6年、まだ新しい。今年仕込んだ。去年仕込んだ味噌をやっと、今、販売し始めたんですよ。パックにして、二年味噌ってやつで。
 味噌室のここの壁はね、20㎝はあるわね。温度を保つためにね。20度くらいに保ってます。冬やとね、外より少しだけ暖かいかな。
 もう1つある部屋は、たまり醤油。水の量と塩の量が違うだけです。水は、水道水です。消毒した水しか使っていません。昔は沢水だったけど、検査しないと使えないから、水道水を使ってます。水も塩も、量って使っています。これで、固い味噌と、柔らかい味噌が出来る。柔らかい味噌の方は、もうどろどろ。だから木綿の布を被せた筒を刺すと、たまりがとれる。

商品として売られている味噌

味噌の材料、大豆

 今年は暑いもんでね、大豆がとれないの。全然だめ。その年の、とれる大豆の量しか、味噌も作れないもんですから。地元の材料を使ってますので。去年は、30㎏入りの大豆を、20袋くらいもらって。今年はね、10袋しかない。半分しかもらえんもんで。出来上がる味噌が少ない。
 去年は私、広いところで大豆作っていましたけど、今年は全然採れなかった。だから私は、今年は味噌作りができない。一人暮らしだから、たんと(たくさん)はいらないですけど。子どもんた(子どもたち)が持っていったり、お土産にしたり、そういうのも欲しいもんで。私はいつも大豆を、三斗まではとらんけど、二斗くらいはとりますね。結構とっとるんですよ。ほいで、販売もしています。ずーっと大豆作っとるけど、今年、こんなこと初めて。暑いせいか病気のせいか知らんけど、来年の種があるかしらんと思うくらい成っていない。明確な理由は分からんね。この高温も、今年が初めてやもんね、けど、昔から、大豆の為には天気はいい方がいいって。大豆の横に火を焚いてもいいってくらいのいわれがあるんだけど、今年はそれこそ火を焚く以上の暑さやったもんね。やもんで、本当に成っていない。「さや」はついとるけど、膨らんでいない。雨が多いときもね、私の畑はそれなりにとれた。今までこんなことなかったですもん。

昔の、田舎の生活

 昔はね、私の在所はね、個人で麹を作ってました。座敷の下に深い穴が掘ってあって、その中で、麹を作って、持って行っていました。子どもの時からやらされていたんです。麹も、保存食用にするめ漬けたりとか、カツオ漬けたりとか、色々漬けるのに昔は全部使ったもんで。甘酒とかも作ったり。で、結構麹が要ったんですけど。お米との交換もしてね。去年とか一昨年の冬には、みんなで作ったんですけど。田舎は、自分で加工してね、漬物とかの保存食をね、食べとりましたんで、こういう田舎で味噌汁食べとった人は、懐かしいって。私らの味噌の味がね。

味噌作りへの本心

 本心をいうとね、辞めたいけどね。でも、ここまで来たら、もう辞められないというのもあるね。あとね、習ってくれる人がないのよ。もうね、80歳になったから、老体に鞭打ってやっとる。辞めたいのは、大変だからっていうよりは、神経使うから。温度に対して。それでくたびれるんですよ。それが大変。みんな寄って、作業して、その後のお茶の一杯は楽しいんですけどね。1時間手入れをして、大豆混ぜて、あと2時間ぐらい、お茶を飲むんですよ。みんなでね、雑談してね。冬やもんで、畑とかの仕事もないからね。それは面白くていいんですけど。温度調節がね、神経使うね。体力よりね。
 4人みんなでやるとね、作業は早いですよ。混ぜる人、手入れする人、重ねる人、簡単簡単。誰でも出来るもんやもんで。簡単やけど、商品にしようと思うとね、ある程度ちゃんとしたもの作らないと。大豆を味噌に加工してくださいって人が持ってみえると、やっぱりおいしくしてやりたいからね。そういうのに、神経使います。よっぽどな失敗はないですけどね。
 若い人が覚えてくれると、あと楽やけどね。代わりがいないんですよ。本当に、いつまでやれるんかなと思いますね。後継ぎがいないので、何年か先は無くなるかもしれない。町なんかではね、私らの作る味噌を、待っとってくれる人がおるんですよ。佐見の味噌まだかなーゆうて。それを聞くのが私らには一番うれしいことです。そうやって買ってくれる人がおるもんでね、続けられるんです。 

PROFILE

田口 千恵子(たぐち ちえこ)さん

佐見に生まれる。昭和38年に隣の家へ嫁入り後、味噌作りの手伝いを始める。その後、道路の拡張により味噌室が移設される。夫との死別後、現在は8人のメンバーとともに、営農組合のもとで味噌作りの活動をしている。

取材日:2024年10月26日、2025年1月19日

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