千年後も変わらない里山のある暮らし。持続可能な未来を考える

【聞き書き 水野隆文さん】

今を楽しむ ~レンズの先に映る町と人~

自己紹介

 名前は、水野隆文です。生年月日は昭和22年12月で、年齢は78歳。出身地は岐阜県加茂郡川辺町下麻生で、今は自分と妻と長男夫婦、それから孫の3人と同居中。職業は郵便局で働いていたけど60歳になって退職しちゃったから、今は無職。

川辺について

 ごくごく普通の田舎の町っていう感じ。最近では遠見山から見える景色をグランドキャニオンとかいってるけど、子供のころは山に登ってみても本物のグランドキャニオンを見たことがないから知らないじゃない。だから、その景色がそんなすごいものと思ってもなかった。私たちのころは、川辺町とは別の下麻生町っていう単独の町だった。それが、町村合併でくっついて、川辺町の仲間入りになったの。そういう歴史がある。

里山で遊んだ子どものころ

 ごくごく普通の目立たない子だった。ふふふ。小さい頃は、今みたいにゲームとかは何もなくて、学校が終われば、天気がいいときは裏山へ行って、チャンバラをする。裏山を登って行って、杉やヒノキの葉っぱをとって、敷いて、坂を滑り降りてくる遊びも。夏になると、飛騨川で泳ぐ。深いけど、浮き輪とかもなんにもつけない。うちらが子供のころは、飛騨川にあるダム湖が学校指定の水泳の場所だったの。今は泳いだら怒られるよ、ふふ。疲れると、岸辺の草にぶら下がって休むの。その飛騨川で、魚釣りもしてたよ。ミミズとか、ムツゴ(蚕の中にいるさなぎ)、ウジを針につけてエサにしてハエ(ウグイ)っていう小魚を釣る。そういうことをやったり。
 あとはお祭り。4月に下麻生町で祭りがあるんだけど、大きな祭りでね。夏になると、家の横の下麻生グラウンドに大きなやぐらを組んで、ほんでその周りでみんなで盆踊りを踊ったり。人の輪が三重になるくらい、昔はたくさん来てた。それから夜になると、新聞社が主催した移動映画館っていうのが外で観れた。下麻生グラウンドの野球のバックネットに普通の映画館と同じような大きさの幕を張ってね。みんな学校の中にあるいすを持ち出してきて、映像を映してみんな座って観てた。『鞍馬天狗(くらまてんぐ)』とかね『新吾十番勝負』とか。そういうのがたまーにやっとったね。
 冬は雪がね、多いときには30センチ以上積もっていたから、雪で遊んだね。昔は、みかんが木の箱に入っていた。そこの中に雪を詰めて、ぱかっとひっくり返すと、雪のブロックができるね。それで、かまくらみたいに作って遊んだり。それから、木箱の下に竹を曲げたものを付けソリを作って、それで滑ったりとか。ふふふ。ゲームとかそういうのが何もないもんで、子どもたちだけで遊んでいた。

学生時代

 僕は岐阜県立加茂高等学校の普通科のほうへ通っていた。理由は、通学できる範囲で、一番近いところだから。昔は高山まで蒸気機関車が走っとったもんで、汽車で古井駅まで行って、古井駅から歩いていく。で、帰りは古井駅か、美濃太田駅まで歩いて、汽車に乗って帰ってくる。部活は、運動がそんな得意じゃなかったからね、科学部に入っとって。どっかで水汲んできて水の分析したり、ねずみ花火の火薬を作っていた。今じゃ怒られるかな。ははは。そんなことで一生懸命普通の学校生活を送っていたかな。

高校卒業後の就職

 卒業して高校を出てからすぐに、国家公務員の試験が高校卒業の資格で受けれるもんで、それを受けて郵便局へ入った。昔だと全員が大学行くわけじゃなかったから、僕は18歳から働いてる。昔は郵政省という1つの国の組織だったもんで、身分的には国家公務員だから、公務員の試験を受けて入った。当時郵便局にはいろんな試験制度が職員に向けてある。その中に1年間部内の学校みたいなのがあって、そこで寮生活をしながら勉強した。そこでは、普通の英語も数学もあったし、法律(憲法、民法、行政法)もすべて学ぶ。その学校を卒業すると、普通の郵便局に配属になる。ぼくは、関市のほうに配属になった。そこにもまた1つ試験制度があって、東海地方が1つのグループになった郵政局のところへ試験を受けに行った。そこで30年近く働いたんだよね。途中で、課長をやったり局長になったり。たまには単身赴任を3回くらいやったかな。そういう生活をずっとこなしとった。
 今は郵便局って民営化しとるでね。昔は国営だった。自慢できるのは、自分たちで稼いで利益を上げたお金で、自分たちの給料も出るし、事業も運営するっていうことだったね。これは郵政事業だったからやれとった時代だったかなぁ。昔は郵便局の中に、郵便の仕事と貯金の仕事と保険の仕事と3つがあって、1つの企業の中で同じように扱っていくっていう全国一律のサービスをやっていた。そういうユニバーサルサービスというのが仕組みとしてでき上がっとったもんで、国民が普通の生活をするための基本の部分を支えることができてたかなぁとかいう、そういう自信はある。儲かっとるとこは商売が成り立つけど、人が十数人とか数百人とかしかいないようなとこで商売しても成り立たないでしょ。だけど、全国ネットワークでやって、そういうとこもまとめて収益を上げて、維持していく。田舎の人たちがサービスを受けられんでは可哀想やでね。そういうみんなが同じサービスを全国でできるようにっていう仕事をずっとやってたもんで、そこがよかったかなぁ。
 やってる以上、そう大変とも思わなかった。仕事やっててよかったところはやりがいのあるところかな。ただ、郵便局の仕事って24時間365日動いとるもんね。ほんでそういう点では、なかなか今みたいに働いてるうちは、自由に休みを取れるっていうのは無かったんだよね。最近は働き方改革とかなんとかで、勤務時間がきちっとしているけど、昔は公務員でも、夜中でも11時でも12時でも仕事をやった経験があるもんで、そういうことをやらなきゃ進んでいかんような職場やったもんでそれは大変だったかな。朝8時から仕事して、また夜中まで。若い頃はそんな仕事をしたことがある。昔はそんなもんだ。団塊の世代っていう言葉なのかな、高度成長時代って言ったらええのかな。経済が動いたあの頃は、がむしゃらに働いとったね。ほんで家庭を顧みずに働くような。ふふふ。自分のやりがいのある仕事をずっと続けてこれたっていうことと、仕事上での単身赴任、例えば沼津のほうとか、岡崎にもおったし、沖縄にも行ったし、そういういろんな地方で働けたこと。行った先行った先で友達がたくさんできたし。地域の人とのコミュニケーションが取れて、いっぱい応援してくれる人がいたっていうのはよかったかなあ。
 ほんとにいろんな人がね、応援してくれた。だからね、苦しいとは思わんかった。

水野さんが受章した「瑞宝小綬章(ずいほうしょうじゅしょう)」(令和4年春叙勲で長年にわたり郵政事業に携わり、職員の育成などに力を注がれた功績が認められた。)

郵便局の退職後

 退職して、暇になっとるんやから、下麻生区の役員やってくれって言われて、下麻生区の区長をやったりしていろんな役をやってる。川辺町の文化協会とか、そこの組織の役員もずっと続けてるし、今では文化協会の会長をやってる。各地区に配置されている民生委員の仕事を9年間、民生委員協議会の会長を3年間やって、終わりました。
 民生委員の仕事は、お年寄りの見守りとか、「これ危ないよ、これ助けなあかん」っていうのを役場に連絡したり。台風の前にちょっと声かけてみたり。日頃住んでみえる人は、どういう状況かわかんないから、元気に過ごしているかなっていうのを確認しに行く。そういう仕事。あと、民生児童委員やもんで、子どもさんのほうもちゃんと見たり。
 あとは教育委員会のほうから頼まれた社会教育委員っていうのがあって、生涯学習の関係でお手伝いとかも十何年間ずっとやっていた。いまだに続いてる。今ね、各地区の学校でコミュニティスクールっていう、地域と学校の関わりの中で、子供を育てていこうっちゅうか、地域の人がみんなで協力しあってやっていこうっていうそういう考え方があって。各学校に学校運営協議会っていうのができとる。川辺西小、それから東小、北小。中学校も学校運営協議会ができて、中学校の会長をやらさせてもらってる。先生も非常に忙しいでしょ。だから、お手伝いできるところは出て、地域の人が手助けして、学校の運営ができるようにする。簡単に言うとそんなことをやってるかな。例えばちょっと前の夏に草刈りのお手伝いをした。小学校とかやとわかりやすくて、例えば地域の山に5年生とか6年生とか学年単位で行くときの案内したり。それからそのときのコースを見てあげたりっていうのを小学校ではやってる。中学校は今そういうのがないんだけど。中学校になると会社見学(職業体験)かな。コロナの時で止まってるかもしれんね。まだ今年はやってないみたいやもんで、来年くらいから始まるかもしれん。そこで、じゃあどんな企業の体験をしたらええか、その企業のこういうところがいいですよっていうのを学校運営協議会と企業と話して、生徒さんがそこへ行って実習してもらえるようにっていう世話を焼いたり、ということをやっていこっかなと思ってる。
 川辺町の文化協会の会長もやってる。組織的には文芸部に俳句とか狂俳とか、それから茶道とか、華道。芸能部というところでは、踊りの人たちとか、太鼓の人たちのグループがありますね。それから展示部門っていうのがあって写真とか絵もある。貼り絵とかでもいろんな活動をしててね。陶芸も。あとは研究部っちゅうのがあって、古文書、昔の文書読み解いていくサークルがあるんですよ。そういうサークルが集まって、文化協会というのを作って、自分たちの活動をみんなで盛り上げていこうという活動を行っている。いわゆる生涯学習やね。年とってもずっととにかく勉強していきましょう、というのを組織にして、川辺町からもちょっと補助してもらって運営しているという。そういうことの会長をやってる。
 こうやって仕事を辞めてから地域のことを長年ボランティアとしてやってる。生まれも育ちも川辺町で、長年地元で成長してきたわけやし、まあ退職していろんな仕事も自分の関わったところから手が離れたから、まあ1つの恩返しの意味でもやれることはやってやろうかなという。かっこいいでしょ。ふふふ。みんな断っちゃってもいいんだけど、それだと誰かがやらんと組織が成り立たないでね。だから、手伝いできることは、自分のやれる範囲でやりましょうと。

趣味で始めた陶芸

 仕事辞めてからいろんな趣味も作らないかんと思って、陶芸を始めたり、水彩画やったり、いろんな趣味をやっている。
 陶芸はね、沖縄におったときに「やちむん」って言って、陶芸の窯がある地域が那覇にあって。単身赴任で土日によく見に行っていた。暇になってから、そういうことやりたいなって思って、退職してから陶芸のサークルに入らせてもらった。

水野さんが作った、 実際に家で使用されている陶芸作品

 陶芸は、気に入ったものは何でも作る。思うようになかなかできないけどね。お花を生ける壺とか、コップとか、コーヒー茶碗とか作ってる。粘土は柔らかいから、いろんな形にもなると思うんだけど、逆にどんな形にもなるから難しい。湯呑は、お茶を入れて持ち上げるもんだから、できるだけ軽いもんにしないといかん。壺みたいなやつはどっしりしとったほうが倒れにくいから、ある程度の重さがあってもいいし。お皿やと、真っ平やと汁がこぼれちゃうから、それも考えないといけないし。ふふ。
 あとは陶芸を川辺中学校で生徒に教えとるんです。はじめに基本をきちっと話すんだけど、初めてのことなんてすぐ忘れちまうから、あんまり怒るとだめだと思って我慢しながら教えてる。ふふふ。同じこと何回も言ってね、教えていかないと。中学校の美術室借りて、作品作って、電気釜で焼いて作品にする。5月からずっと冬までかかって、いくつか仕上げて。10月の※「マウンテンフェス」で生徒の作品が販売されるから、見てもらうといいけどね。そういうお手伝いをしとるの。今年は1年生が多くて初めて土触る子がいたから、なかなか難しい。2年生、3年生ってなってくるとみんな慣れてくるかな。

※川辺町で開催される「山のふもとの暮らし」をコンセプトとした、入場無料の音楽フェスのこと。

水野さんが作った、家で飾っている作品

趣味で始めたデジカメ

 写真も時々やってる。撮るのは、主に風景とか、花とか。遠いところは飛騨まで行ったり、旅行行ったらついでに撮ってくるとかかな。普通の一眼レフでね。どんどん欲が出てくると高いカメラが欲しくなるが、今持ってるのは安いほう。十何万だけど、ふふふ。サークルでは、みんなで話し合ってここはこうしたほうがええんやないかって教え合っている。

水野さんが撮られた地域の写真

地元の縣(あがた)神社を撮る水野さん

これからのこと

 中学校へ行くと、考え方がわりとしっかりしている子が多いのかなと思う。まあ環境やろね。自分が中学時代は子ども子どもしとった。今いろんな情報がいっぱいあるでしょ。昔は情報なんて新聞かラジオくらいやもんね。ある程度大きくなってからやっとテレビが出始めたから。ちっちゃい頃はテレビなんてなかったでね。今はスマホなんてね、みんな1人1台持っとるでしょ。昔は1家に1台黒い電話があるだけやんね。だから今は情報量が格段に多いよね。格段に多いもんで、いろんなことを頭から得た知識っちゅうのはみんないっぱいあるから、知恵とかそういうのは今の子はついとるかなと。昔は一緒に住んでる大人とか友達同士の関わりの中の情報しかなかったもんで。今はもっと広い範囲でしょ。世界中のいろんな情報が瞬時で入ってくるじゃん。だからAIとかがいろいろやる時代の中で住んでかなきゃいけない。これからAIに変わられてしまう職業もあるやろうし、人間じゃなきゃできない仕事も残るやろうけど。残らなきゃいけない仕事を若い人たちはこれから見つけて、自分の仕事としてやっていくのは大変だと思う。
 自分は今後も引き続き写真とか陶芸をやってこうかなと。今地区の役員だとかいろんなことでお手伝いをやって、なかなか自分の時間をフルに使えないことが多いから、ちょっとずつ整理をして、もっと自分の時間を作って、趣味にもちょっと当ててこうかな。
 自分の強みはなんでも食らいついていくこと。なんでも興味を持って、ほんでなんでも参加したいなという気持ちがあることはいいことかなと。そろそろ寿命が尽きるころなので、まあちょっとずつ整理して、だんだんフェードアウトしてこうかな。ははは。ある程度いろんな人がやっぱりいろんなことやってかな、あかんもんね。いつまでも誰かが同じ仕事をしとったら経験できる人がいなくなっちゃうもんで。そういう人が取って代わってくれることを期待しながら今の仕事をやっとって、チャンスが来たら譲っていこっかなと。

PROFILE

水野 隆文(みずの たかふみ)さん

川辺町下麻生で生まれ育ち、子どものころは飛騨川や野山でよく遊んでいた。高校卒業後は郵便局に就職し、研修を経て約30年間勤務した。退職後は地域活動に力を入れ、下麻生区長や民生委員、社会教育委員などに勤めてきた。現在は、中学校運営協議会と川辺町文化協議会の会長を担っている。さらに、趣味として陶芸サークルとデジカメサークルに所属し、よく展示会に出品している。

取材日:令和7年10月18日、令和7年12月27日

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