千年後も変わらない里山のある暮らし。持続可能な未来を考える

【聞き書き 田口 節春さん】

東白川の山と生きる匠

自己紹介

 田口節春、昭和19年2月生まれで、82歳。生まれも育ちも東白川村。子どもが3人、孫が7人ぐらいおって、今は妻と娘と暮らしとる。建築の仕事やっとって、弟子も3人育てたね。それぞれ5年か6年面倒を見て、今は弟子は弟子で一人前になって、一生懸命やっとるわい。 
 一応、職業訓練指導員っていう免許も持っとって、濃飛建設職業能力開発校っていうとこへ毎週教えに行って、100人以上卒業させた。建築組合に加入させてもらってから請負講師として30年やらせてもらったけど、歳やし跡取りもいないから、もう建築組合だけは脱退させてもらった。

現地収入の生活

 昔は山から取ってきた枝や薪を使って焚き物(たきもの)にしたり、水道の代わりに山の水使ったり農業をしたり、自分のとこで資源を取って生活しとった。つまり、現地収入ってことやな。農業は米とか作って、産業だと東濃ヒノキを売ったり、この辺の東白川は明治ぐらいから養蚕とかやったりしてた。あったかいとこの東白川では白川茶を作って収入を得たね。今の生活水準になっていったのは昭和45年以降からで、あまり便利じゃない生活やったけど、それが当たり前やったね。

当時の進路

 東白川には高校がなかったから、僕の世代は高校行く人もそういなかった。学校卒業したら男の人は会社に入って丁稚奉公(でっちぼうこう)をやったり、女の人は紡績工場に行ったりしたね。同級生にもおるけど、金をたくさん稼ぐために街に出て立派になった人もおる。でも、金を取る覚悟がない人とか跡取りで家を守っていかなあかん長男坊とかはここに残ったね。僕には兄貴がおったんやけどもう亡くなってもうて、本当なら僕次男やけど、責任上、街に出ずに家に残った。

建築を始めたきっかけ

 建築の仕事始めたのは、そのころ商売的に建築か土木が一番良かったからっていうのはある。初めは木を売って金を取っとったけど、それだけじゃ大した金取れへんから、ちょうど建築の仕事やってみえたおじさんのとこで手伝うような形で金稼ぎながら建築を始めた。最初は大工さんになるつもりはなかったんやけど、やっとるうちに道具をちょっとずつ集めていったのが続けるきっかけでもあったね。この辺の人は全員そんな感じやったで。他のとこ行くか、山行って仕事するか。僕と同世代の人は皆そういう人ばっかりやったね。

建築を始めたてのころ

 建築やる前は可児にある修練農場(今の岐阜県農業大学校の前身)に、家の跡取りとして農業やるっていう形で通ったね。そこを卒業した後、林業学ぶために美濃市にある県の緑化促進青年隊(今の岐阜県立森林文化アカデミーの前身)にも1年通った。家に帰ってきたのは昭和38年ぐらいやったかな。昭和42年ぐらいから親方のところへ行って、そこで大体10年修業したね。それぐらいの期間やってやっと一人前になれる。
 親方のところを出た最初の頃は金も何にもあらへんもんで、まず自分で建築店開業したね。でも信用がないもんで、お客さんがいない。やで、ちょっとずつ依頼引き受けて仕事して、何年かすると段々知れ渡って、お客さんが来るようになった。そうしたら、今度は県の建築許可ってやつを取らんとあかん。建築業者として請け負うとき、何千万円以上の仕事をしようと思うと法律的に許可が必要って決まっとる。それを平成6年ぐらいに取ったね。それから、東白川に建築組合っていうのがあって、そこに入れさせてもらって、僕より先輩の人ばっかりやったけど一緒に活動したね。

今と昔の建築

 今の建築組合に入らせてもらうまで、板金工事から屋根まで全部自分1人でやってきた。自分で木を切って墨付けして刻んだり、ドリルで穴開けてノミで彫って柱のほぞやほぞ穴を作ったり、手間がかかっとった。今はもう「プレカット」っていう機械で加工する技術を使ってほとんど作ってくれるから楽やね。でも、最近の大工さんは全部プレカットでやって造作だけやるもんで、あんまり建築の技術がないね。
 平成6年から今のように人を雇っていかんとあかんくなって、基礎屋さんとか板金屋さんとか、瓦屋さんとかをね。そうやって頼んで請負をして、おかげさんで新築をだいぶやらせてもらった。下請けをやらせてもらったり、遠いとこまで泊まり込みで仕事しに行ったり、初めのうちはそういう仕事もよくやったね。元請けをよくするようになってからは自分だけじゃなく、人にやってもらうようになったね。
 昔は、頼んだ人と一緒に建前(たてまえ)やって、あとは全部1人でする。やで1軒で充分1年分の仕事あったね。でも今はプレカットがあるし、10人ぐらい頼んで1日で建前して、屋根やったりサッシ入れたり床張ったり、そういう仕事を3か月か4か月で済ませちゃう。やで、今やと5軒か6軒ないと1年仕事なくなっちゃう。今のような機械を使ってできるようになったのは昭和45年以降や。

不定期な職業

 建築っていう仕事は、仕事があるときとないときがあって、不定期な職業やな。サラリーマンやったら毎月給料を10万円なら10万円もらえるけど、建築は請負やで1軒二千万円で受けても二千万円自分に入ってくるわけじゃない。1軒の家に50本ぐらい柱が必要やし、屋根とか壁の材料も含めたらかなりの金がかかる。二千万の家なら材料費が1割、百万から三百万かかるね。そのうえ、今は僕が1軒造って渡すわけじゃなくて、大体12種類ぐらいの業者、水道屋さんや電気屋さん、瓦屋さんとかに頼んで家を建てていく。その職人さんや請負人さんにも払うと二千万のほとんど持ってかれるね。
 でも、建築の仕事がないときは農業とか山とかの仕事が年中あったから、仕事自体はなくなることはなかったね。お正月のときぐらいしか休みが取れないぐらい忙しかったけどね。

建築道具

 これは差金(さしがね)(写真1)。これには100通りの使い方があって、普通に長さを測ったり目盛りから計算して角度とかを求めたり、何でもできる。この技術覚えんと寄棟(よせむね)っていう傾斜のある屋根とか四方転びとか造れん。これは生徒が作った椅子で、二方転び(写真2)っていう脚が2方向に傾斜してできとって、こっちは四方転び(写真3)で脚が四方向に傾斜して立たせとる。四方転びは二方転びよりも技術が必要で、安定する脚の角度を差金で出して、切ることがとても難しい。今の大工さんでこれができる人はそうそういないね。差金には裏目っていうのがあって、表の目盛りを√2倍した角目と、表の目盛りを円周率で縮小した丸目ってのが付いとる。それを使うことで正方形の対角線とか円周とかを計算しずに知ることができる。いろんな使い方があるで勉強すると楽しいよ。

(写真1)差金

(写真2)二方転び

(写真3)四方転び

 これは軸傾斜盤(じくけいしゃばん)(写真4)って言って、のこぎりがついとるもんで、木材をスライドさせて切ることができる機械や。
 これは超仕上げかんな盤(写真5)って言って、板を滑らせて木を削って、木の厚みを揃えていく。昔は鉋(かんな)使って手で削っとったけどね。鉋にもいろいろ種類があって、普通のやつもあるし、仕上げ鉋とか電気鉋とかもある。あと普通の鉋をわざと曲げた反り鉋って言って、木の皮がついてる部分とか凹んだ部分があるときに使って削るね。

(写真4)軸傾斜盤

(写真5)超仕上げかんな盤

 金槌(かなづち)は知っとるやろ。金槌にも平らな面(写真6)と丸みのある面(写真7)に分かれとる。平らな面は普通に釘を打って、最後打ち込むときだけ、木材に傷がつかないように丸みのある面で叩(たた)くんよ。

(写真6)平らな面

(写真7)丸みのある面

 これは丸鋸(まるのこ)(写真8)で、普通のノコギリで切れない大きい、長い木材や大量に木材を切るときによく使うね。最近はコードレスで使えるから便利や。

(写真8)丸鋸

 これはサンダー(写真9)。ペーパーのやすりが付いとって、削る材料に合わせてやすりを貼り替えて使い分けれる。今は昔より道具が増えて、すごく便利になったね。

(写真9)サンダー

12種の業者

 家建てるとき、12種類ぐらいの業者に頼むね。まずは家を建てる土地の地盤を検査して、大丈夫だったら基礎屋さんにベタ基礎っていう床下全面に鉄筋コンクリートの板を敷き詰める基礎工法をやってもらう。そうすると湿気はこないし、シロアリは湧かない。基礎をやったら次は大工さんみんなで建前する。その次は屋根屋さん。屋根は下地までは大工さんがやって、瓦にするか板金にするかを決める。最近の住宅は板金がほとんどで、最近は板金が鉄やと錆(さ)びてまうでガルバリウムっていうのが主流になっとるね。ステンレスもあるけどそこまで金かける人はそういない。
 サッシ入れて外部周りができたら、電気屋さんが電気工事、水道屋さんが風呂や台所の設備工事をする。その次に床張ったり天井張ったりする造作をするね。そのあとは僕ら大工が床をフローリングにして仕上げたり、塗装屋さんが少し塗装して、壁に板張って仕上げる。あとは僕ら大工が壁にプラスターボードっていう下地を作っておいて、そこにクロス屋さんにクロス(壁紙)貼ってもらう。そしたら家は大体完成。あとお客さんの方でカーテンとかインテリアをやってくださいって頼まれるかもしれんけど、それなしでも家建てるのに業者さんは12種類ぐらい入ってもらうね。

設計通りにいきづらい総受け業

 僕は今まで総受けで、何もかも全部自分が総括して請け負っとった。電気工事とか水道工事するときは、設計段階のときに何がどこに必要なのかお客さんと見積もりを出して、今度はそれを業者に発注する。その管理は全部自分でやるね。そうやっとると、建前とか工事とかを1週間で済ませるはずが他で手間かかって遅れて、上手く設計通りにいかないこともよくある。そうなると、総受けで頼んどる事業に追加でくださいって言えへん。もともと見積でこんだけでやってくださいって頼んどるもんで、それ以上頼むとこっちが赤字になるで儲(もう)からん。本当はもっと儲かって、いい生活したかったけどね。

技術が問われる社寺建築

 もともと神社とかお寺とか好きやったもんで、神社のお宮の修繕とかもやってきとるよ。建て方は普通の家とはもう全然違うね。昔の技術がないと今の大工さんじゃ造れん。神社とかお寺でも今は部分的にプレカットでできる部分があるけど、プレカットはまっすぐの物しか作れんで、彫刻や屋根の反りはやっぱり手で造らんとあかん。細かい彫刻品や細工もんは1か所1か所違うし、材料も違うもんで、普通の製品みたいに同じに造れないから難しいし、一番時間かかる。やで、お寺とかは完成までに約3年、それも1人じゃないよ。5、6人かかって、3年かかるね。
 お寺なんかは僕はまともに全部建てとらへん。やらせてもらうととんでもない金額になるし、基本弟子も連れて造るんやけど、教えた通り造ってくれる弟子がおらんとそうできん。社寺建築を専門にしとる人は弟子を多く連れて、ずっとそれしかやらんからいいけど、僕みたいなのは一般の建築もやるから、専門のこともやっていくのは難しい。それに、専門的なことは本とかで勉強していかんと誰も教えてくれないで造るときに困る。やで、建物全部造るっていうことはそうやらんけど、壊しちゃった部分とか悪い部分とかを建て替える改修工事とか修繕工事とかはしたね。それに普通のお寺でもご住職が住んでいる庫裏(くり)っていう部分は普通の大工さんでもできるね。特に僕らは鐘撞堂(かねつきどう)をたくさん造らせてもらった。
 東白川の神田神社(かんだじんじゃ)の山車(だし)も作ったね。これ山車んときの写真。

山車

愛知県の豊田の方でお寺の門とか飾りものとか、手洗い場とかも造らせてもらった。
これ僕が造らせてもらったお寺さんの鐘撞堂で下が門になっとって、上で鐘が撞ける鐘楼門(しょうろうもん)。昔は階段があって、登って撞くことができたけど、僕が建て直してからは下から紐を引っ張ってドンと撞けるようになっとる。それにここの彫刻や看板も自分で造ったよ。

手洗い場

鐘楼門

費用ほぼ0円の小屋

 この小屋は仕事で暇なときに遊び場として造ったんやけど、これ造るのに金かけられへんで、建具から何まで全部プレカット無しで自分で造った。机も既製品じゃなくて板から削ったし、普通は板を天井の下に張ったり壁張ったりするけど、張らずにしてある。小屋の大体は山から切ってきた木の皮を剥いだだけのもんやし、サッシや台所の部品は、お客さんの家を解体するときのいらないやつを拾ってきた物やで、金かかっとらん。トイレや風呂も造ったし、押し入れの中に布団も入っとるで、ここに泊まって生活できる。こんな小さい小屋でも完成に2か月ぐらいかかったよ。

小屋

ヒノキの風呂

 この小屋はお客さん招待して、焼肉したり流しそうめんしたりできるし、周りが山やで騒ごうが気楽に遊べる。ついでにカラオケもできるよ。それにここは仕事で使う場所でもある。新築の依頼で、お客さんはどこの馬の骨かもわからん奴に何千万円も請負させてくれへん。やで、まずは信用得るためにこの小屋に招待して、お話していく。今は遊びの場になっとるけど、前は仕事の打ち合わせ場所で、お客さんの信用を得るための場でもあったね。

今は緑の山々

 建築で使う木材は大体東白川のヒノキで、あんまり外材使わへんね。今は林や山がほとんど植林して全部緑やけど、当時は紅葉する木がどこもかも生えとってきれいやったよ。今の緑ができたのは、炭焼きに使う木炭を生産するために広葉樹を切って、植林したから。それこそ伊勢湾台風が来たときにみんな木を切って売ることを覚えて、現金を山から稼いだ。この辺は寒暖差があるもんで、東濃ヒノキっていう目が細かくて、柱にしても艶が出る高級材が取れるね。天然ヒノキで高級やったんやけど、今はもうどこもかも緑になって安くなったもんで燃やすようになっちゃった。

畑仕事と草刈り

 今は建築以外で畑で野菜作ったり、家の周りの草刈ったり、そんなような仕事がある。草刈らないと畑とか荒れてまうし、広いから今は乗用のやつで草刈っとる。草刈りも昔は朝起きて草を小さい手鎌で刈って、刈ったやつを飼ってるウサギやヤギ、鶏、牛とかの餌にしたり、肥えにして田んぼの肥料にしたりするで刈った草を捨てることはなかったね。
 畑は春野菜から秋野菜を育てとるし、田んぼで米も作っとる。秋の野菜やと大根、春はきゅうりやなす、今はほうれん草や小松菜を作ったり、自家用で漬物を漬けたりしとる。あと山で山菜とかキノコとかも採りに行くよ。春はタラの芽とかコンテツとかを天ぷらにする。この辺は大体春から夏の6月か7月に山菜生えとるよ。

今と昔の米作り

 子どものときは戦後で余計食料がなかったで、二毛作をやっとったね。麦は1月か2月うちに蒔(ま)いたり麦踏(むぎふ)みしたりして、6月ぐらいに収穫する。この辺は大体小麦じゃなくて大麦やったわ。大麦作ったあとは米を作る。6月ぐらいから田んぼを掘り始めて、7月で田植えして、11月ぐらいに刈っとったね。昔は田んぼが50枚くらいあったんやけど段々なとこで不便やったで、平成6年の耕地整理で今は2段の田んぼが2枚ある。機械もなかったもんで、多いときは10人ぐらい人を頼んで一緒にやったね。そんな昔の田植えやったけど、今は大型の機械で稲刈ったり、籾(もみ)にしたり、もう全部機械でやってくれる。一応今は集落営農っていう、地域の人と共同で自分とこの田んぼを管理しとるんやけど、村の第三セクターが請け負って、田んぼ掘って田植えして刈ってくれるで、なんもやることない。やるなら、水の管理やったり肥料まいたり、畦の草刈るくらい。ほんと建築も農作業も労働的には楽になったね。

後継とこれから

 建築の方はね、後継者がいない。今の時代、これをやりなさいって強制できんし、一応今は娘が経営の方の後継をやってくれとる。最近はあんまり建築をやる人がおらんもんで、大工の方は跡取りなしやな。本当はやってもらいたかったんやけどね。建築の道具とか機械とか揃えて大きいトラックとかリフトとかあったんやけど、全部処分したし、ほとんど片付けてもうたね。誰かやってくれる人がおったら譲ってあげるけどね。
 今は集落のセンターのバス停に屋根を作っとる。まあ奉仕活動みたいなことしとるね。一応建築の県知事許可ってやつが5年間で、資格がまだあと2、3年残っとる。それにうちに今までの仕事の付き合いの人が来てくれとるで、そういう人に頼んで今仕事をやらせてもらっとる。増改築みたいなことをやったり、今は村内の越原(おっぱら)の方で台所とか、お風呂とかそんな改築工事をやらせてもらったりしとる。
 これからの生活は特に何かしたりしないけど、元気で遊んだり、友達もよくここ来てくれたりして一緒に遊ぶね。そんな生活をこれからしていくと思うよ。

PROFILE

田口 節春(たぐち よしはる)さん

東白川村で生まれ育つ。昭和42年から親方のもとで10年修業し、平成6年に建築組合に加入。3人の弟子を育て、濃飛建設職業能力開発校にて開校以来25年以上指導員として人材育成に貢献した。また、自ら植林した木を切り出し、墨付け、刻み、造作と、造林から建築まで1人で担うことを実現した。

取材日:取材日:令和7年11月8日、令和7年12月20日

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