千年後も変わらない里山のある暮らし。持続可能な未来を考える

【聞き書き 笹俣唯子さん】

鯉と共に生きる~伝統の継承を目指して~

自己紹介

 私は笹俣唯子です。昭和19年8月生まれで年齢は81歳です。白川町広野に嫁いできたのは21歳の時で、それから子どもが2人生まれました。今は長女は名古屋に、長男は関市に住んでいて、主人も入院してるので一人暮らしやね。

昔の佐見と昔の生活

 私の里はね、小学校まで2キロ以上あってね。歩いて40分かかったの。通学路も山道ばっかりやし冬は早く日が落ちるでこわかった思いがあるけども、集団下校でみんなで集まって帰れたのはよかったな。でも中学生になってバレーボール部に入ったんやけど、部活があると遅くなるでそれはこわかったね。子どもの頃は運動ができるっていうことで部活とかで仲間づくりができたのはよかったなって思う。
 あとね、昔はみんな百姓をやっとったもんで、ずっと家にいて百姓手伝っとったね。冬は農作業はないもんで、洋裁とか和裁とかミシンを使ってたね。卒業してどっか行こうって思っても百姓を手伝わんならんし、母親からも家におってくれっていうお願いやったもんで、就職もせずに家におったわ。当時は中学校卒業したり高校卒業したりしてから家で農業やっとる人たちがたくさんおったもんで、そういう人たちが集まったクラブもあってね。そこで町の人とも顔見知りになって、みんなで交流ができてよかったね。
 結婚は21歳の時にしたんやけど、すぐ上の姉が美濃加茂市の山之上に嫁いだばっかりやったし、結婚するにも道具をそろえたり資金がいるもんで、私もまだ20歳で結婚する気はなかったんやね。けど主人のお母さんが病気やって入退院を繰り返しとっておばあちゃんも歳やもんで、元気なうちに結婚させようということになったらしくて。主人たちが私の在所へ押しかけて、頼むってことで結婚することに決まったみたい。鯉も主人がやりだしたのよ。

養鯉業(ようりぎょう)のきっかけと現状

 昔はどこの家にも池があって、鯉がいたのよね。洗い物した水とか残飯とかを流して、それを鯉に食べさせたりしとったね。あとは養蚕をしとったもんで、生のさなぎも食べさせてね。今は肥料があるから、残飯とかは食べさせてないけどね。
 昔はここら辺は水田を共同作業でやっとったんやけど、主人が水田を池にしたいっていうことで共同作業をやめて、鯉を始めたんやね。まず、スコップを使って水田の土をあぜにペタンペタンと張り付けて60センチくらいのあぜを作ったわけ。子どもが生まれてからは乳母車に子どもを入れて田んぼに行ってね。それが初めての池づくりやった。それから鯉は新潟から買ってきたり、家で産卵させたりもしたね。私は農業はちょっとは手伝っていたもんでわかったけど、鯉は主人がやったもんで私も子育てとか家事とかしながらやけどなんとかついてやっとったね。
 主人は何でも作るのが好きで、道具とかも色々作っとったな。それで鯉は今も昔も養鯉組合の組合長さんが協力してくださっとるんやね。組合長は私よりも6つか7つくらい下やもんで後継ぎができたみたいでね。ほんで今は主人がおらんもんで、組合長は私の助けになってくれとるで私も頼りにしとる。特に力仕事は任せとるね。親鯉は70か80センチするもんで持つと振られてまうんやね。この歳になるとそれがこわいもんで、組合長に重いものは持ってもらっとる。他のこまごましたのを私がやって、持ちつ持たれつの関係でやっとる。
 元々白川町は凄い鯉の養殖が盛んで、市(いち)も大きかったんやね。私も、いつも五百枚くらい案内状を書いて郵送してたんやわ。ほんでバスで遠方から来てくれる人とか趣味でやっとる人達が大勢来てくれたりして、盛大にやっとたんやね。
 でも基盤整備で水田が大きい規模になって、池を維持したりするのが大変になってきたもんで、今では組合員も3人になってまった。もうほんとに鯉が好きな人しかやらんようになってまったもんで、残っとる人らで協力して頑張っとるよ。

大きい鯉がいる池

養鯉の具体的な仕事

 第一に産卵させることやね。産卵させる前に池の水を全部抜いてまって、土を活性化させるために1週間くらい天日に干すんやね。そこに鶏糞を入れたりして、また水を入れる。それで次は餌になる動物性プランクトン、ミジンコやね。それを作っておくのよ。ミジンコが増えるのに1週間から10日かかって、卵が孵化するのにも1週間くらいかかるもんで、ミジンコがちょっとみえてきたら産卵させるんやね。それを池に入れて、孵化したらちょうどミジンコが食べれるように調節してやっとる。
 あとは選別作業やね。選別の基準は、まず体形やね。どっか膨れてたり、しっぽがないと欠陥だからダメやし。あと色と艶と病気がないかってことやね。でも選別は長年やってないとわからないね。初めてやとどんな状態で拾ったらいいかわからんし、将来ええ風になるかどうかも判断できんもんで難しい。大体3年くらいで市へもっていっても商売になるっていうね。品評会は一部から六部、それからジャンボっていうサイズと、品種別に分かれてるね。種類はたくさんあって、例えば紅白・三色・昭和三色・光物なんかやね。サイズは一部が1センチから18センチ、二部が20センチから25センチ、ジャンボは60センチ以上みたいな風になってる。品種によっても成長が変わるから、やっぱり選別は難しいね。
 あとは草刈りかな。夏になって雨が降ると、草が凄く伸びるんやね。ほんでね、シルバーの人にお願いするんやけど、やれる人が少なくなってきたもんで、いつやれるかわからんって言われてまうんやて。やもんでこの歳になっても草刈りをしとるわ。夏は暑いもんで、汗びっしょりになってやっとるよ。午前中に1時間外に出たら家に入ってとか、調節しながらやっとるわ。

小さい鯉がいる池

養鯉業の大変なところ

 大変なのは病気やね。昔は水さえあればよかったんやけど、池の中の密度が高いと病気になるんやね。あと水の温度が低すぎると消化不良になったり、高すぎると酸素が欠乏したりして病気になるんやね。病気は伝染するのも1匹でおさまるのもあって、伝染するとちょっとでもみられたら全部引き上げてまって消毒しないかんくなるもんで、それが一番大変やね。すぐに見つけられたらええけど、気づかずに蔓延してまったらその池はダメになってまうもんで大変。
 対策としては、薬とか餌やね。餌は調整して消化不良をなくしたりやね。鯉の生産は新潟が凄いもんで、病気もどんな薬が効くのかとかも全部教えてもらって、早めに対処しとるね。
 今は薄飼いって言って、池の中に鯉の数をいれないで密飼いしないから病気も減ってきたし、だいぶ病気のことが分かってきたもんでいいんやけどね。でもまだまだ別の病気が流行ってくるし毎年同じ池で育てるもんで、土に力がなくなって病気になったりするで、ほんとに毎年1年生のような状態。土の入れ替えをしようと思って、業者に頼んでもお金が必要やでなかなかできんね。
 あとは池づくりやね。作ったあぜの上に、鯉が耕土をつついて壊してまわんようにビニールをかぶせるんやね。でもそのビニールがそんなにいい素材やなくて2年くらいでボロボロになってまって、壊れたやつを取り除いて次のやつをまた張らんといかんで大変やった。今はビニールじゃなくていいのができて、十何年も持つあぜシートができたもんで楽になってきたよ。
 あと歳をとってくると体力がなくなってくるもんで、力作業が大変で引き網とかができんくなってくるし、引き網用の網とかの道具が壊れてまうと、私が修理できたらええけど、今は主人がおらんもんで修理するのが大変。

金魚などを飼っている池

やりがい

 大変なことも多いけど、品評会にもっていって誰か買ってくださって、東海三県で入賞したよ!なんて電話くださったりするとほんとによかったなって思う。今から30年くらい前に商工祭りに鯉を出したりね。主人がおった頃は結構協力してやっとったよ。
 これも何十年も前やと思うけど、「美濃加茂のグリーンセンターで産業祭やるで、鯉をちょっと分けてくれんか」なんて言ってみえて持ってかれたこともあるよ。
 あと鯉を取り上げる季節やもんで、9月が楽しみやね。選別も楽しみでいいかもしれんけど、大きい鯉が見事に仕上がってくるのが一番楽しみやね。忙しいこともほっぽいて「鯉はどうや?」って言いあうのがいいね。

網などをつくる作業場

里山と今の暮らし

 里山に住んでていいなって思うのは、紅葉がきれいなことかな。夏はこっちも暑くなってきて大変やけどね。里山の暮らしで何が大切かはわからんけど、野山とかをあんまり荒らさんようにとは思うね。けどそれも仕方がないことやなって思う。一生懸命やっても荒れていくばっかりやもんでね。でも里山を好きになってくれる人がいたらいいなとは思ってるんやわ。
 最近はどんどん鯉をやる人も少なくなったり市の規模が小さくなったりしとるもんで、もしできなくなったらどうしようかなって色々考えとる。太陽光なんかはできないと思うから、牧草でも作って買い取ってくださる人がいればいいんやけどね。水田利用でなんかいい考えはないかと思案してる。
 思い出すと寝れない時もあるよ。この歳になると農作業やってるうちは疲れて寝れるけど、あんまり仕事が激しくないときは眠くならないもんで、寝ずにテレビでも見て過ごす時もあるね。なかなか計画通りにいかんもんで大変やわ。どうしようって言ってお父さんに話したり相談したりするけども、結局は自分で判断せんならんで、今はまんだ頑張っとるところやわ。
 あとは「有本サロン」っていう自治体の女性部でやっとるサロンがあるんやけど、そこで仲間づくりをしとるね。老人クラブに入る前の人たちが入っとるもんで安否確認やね。クラブの中の小さな役をもらえるし、みんなで話し合うこともできるし、おしゃべりもできるしいいところやね。やっぱり一人ボソッとしてるとちょっとおかしなるで、仲間づくりはしなきゃと思って楽しくやってます。

若者に向けて

 佐見に長年続いた養鯉業でも、どんどんやっとる人が減ってきたんやね。今はね、そんな趣味だけで鯉はやっていけないからね。すごく手間がかかるし、お金はどんだけ積み込んでも足らんくらい。肥料のほうも高くなってきたし、いい餌をあげなかんと思うしね。そんで市も小さくなったもんで、買っていくばっかでも密飼いになって病気になってまうし、収益も少なくなったんもんで、鯉だけで生活を送るのが難しくなったんやね。だからついていけんようになってまった。今販売しているところは高山の釣り堀屋とかそんなところ。
 やってくれてるところもあるけど、そういう人たちが高齢になってきたもんで先は長くないなと思う。今はほんとに鯉が好きでって思いでやっとる人はもうほとんどいないね。せっかく家に池があっても、親父が作っとった池をつぶして駐車場を作るっていう若い人が増えとるね。町のほうでも協力隊を頼んでみるとかしてるって言われるけども、なかなか見つからないのよね。新潟みたいに産地としてやっていけるならいいけど、この辺はどんどん廃っていくばっかりやもんで残念やなって思う。
 でもせっかく設備があるもんで、鯉が好きでやってくれる人が出てきてくれたらいいなって思うな。

PROFILE

笹俣 唯子(ささまた ただこ)さん

白川町広野生まれ。21歳の時に結婚し、2人の子どもが生まれる。2年前に主人が入院してから白川町上佐見に1人で暮らしている。今でも養鯉組合の組合長と協力して養鯉業を続けており、品評会に向けて毎日忙しく働いている。

取材日:令和7年11月15日、令和7年12月7日

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