千年後も変わらない里山のある暮らし。持続可能な未来を考える

【聞き書き 白木 敏彦さん】

お蚕の火を消さんように

生い立ち

 僕は白木敏彦です。生年月日は昭和18年2月です。生まれは上米田村(かみよねだむら)比久見(ひくみ)ってところ。そこで生まれて、川辺にある飛騨川の水で産湯を使ったらしいんです。
 うちは4人きょうだい。僕が一番上で、真ん中2人が女性で、一番下が男。今は春日井(かすがい)と加茂野(かもの)、三和(みわ)に住んどるね。お蚕が忙しい時には、手伝いに来てくれるよ。息子は3兄弟で、真ん中はうちで一緒に住んでる。

養蚕の道へ

 ほいで、僕は下米田(しもよねだ)小学校、下米田中学校、そして加茂(かも)高校。その当時は農業科と畜産科があったんですね、僕は畜産科へ入った。お蚕も昔は家におったもんですから、もう高校時代から手伝っとった。それからやから、60年くらいになる。昔はどこの農家でもあったけど、うちの中でお蚕飼ってたんですよ。8畳の部屋3つか4つ、目棚(めだな)を組んでざる飼いをしとった。あとは、麦を作ったり、米も作ったりしてたな。
 僕は長男やし、昔から僕も養蚕やるかって思ってたね。勤めに行こうとかそういう気持ちではなかった。自然と養蚕を継ぐ流れになってたかな。僕で4代目。高校を卒業してからずっと農家としてやっとるよ。

蚕室で蚕に桑をあげる白木さん

養蚕と米作りと

 基本、うちでは春蚕(はるこ)と晩秋蚕(ばんしゅうさん)を飼ってる。(蚕を飼う時期によって呼び名が異なる)。春蚕は5月の15日頃にきて、6月の半ばに出荷する。晩秋蚕は9月のはじめに配蚕(はいさん)されて、10月には出荷だね。お蚕を迎える準備もせなあかんで、蚕室(さんしつ)とか網とかを洗って消毒して、綺麗にしておくことが大前提。稚蚕(ちさん)専用の桑を作ったり、桑園(そうえん)の手入れも必要やね。
 それから2町4反の田んぼで米も作っとるよ。春蚕が来る前の忙しくならんうちに田植えを済ませて、稲刈りもコシヒカリは9月の中旬に済ませた。お蚕が来てから1ヶ月ぐらいは面倒みないけんもんでね、その中で仕事をやりくりして。やっぱりその間はすごく忙しいからね。コシヒカリが今年は10aで8俵弱、3400キロくらいとれたかな。あとは飼料用米とハツシモを作っとる。米は個人に売ったり、農協に出したりしてるよ。
 それに、やめてからは20年くらいになるんだけど、養豚もやっとった。当時はほとんどそれを主でやっとってね、一番多い時は母豚が30頭ぐらいおった。動物やもんで餌やらなきゃいけないし、匂いとか糞尿処理が一番困ったな。山の方ならできたかもしれんけどね。なんとかやってきていたけど、養豚をやめてほっとしたっていうのは本当かな。そのあとは家内にも助けてもらって、田んぼを増やして借りて、養蚕と米を作るようになったね。

お蚕がやってくる

 お蚕がくる前に消石灰を溶かした上澄み液で蚕室を洗って、網とかをセットしておいて養蚕用の除菌洗浄剤を溶かしといた水で消毒するんです。動噴(動力噴霧器)を使って天井からだぁーってかける。一部屋に100Lかな、だから2部屋あるもんで200L使うね。昔は完全な防具をつけて、ホルマリンを使ってやっとったね。今は食品添加物から構成された洗浄剤やもんで、安全なやり方をしとる。そうやって1週間ぐらい乾かしといて、お蚕もらってきて育てるんです。
 お蚕は2齢(1回脱皮した状態)で、長野県の専門の上田蚕種(うえださんしゅ)っちゅうところから持ってきてもらえるんだけど、両手で持てるくらいの箱に3万頭入ってるんですよ。それを春は3箱、晩秋は2.25箱もらってくる。配蚕の時はみんな一緒の状態なんやけど、早く起きる(脱皮する)虫とちょっと遅れた虫の仕分けがいるもんでね。早いやつには早く桑付け(くわづけ)をして網かけて、そういう方法で分けるわけね。
 桑はね、稚蚕の時には窒素を少なくして作った専用の柔らかい若い芽をとってきて、お蚕にやるんです。大きくなったら窒素の入った肥えたのをやるようにしてね。桑切りも大変で、雨が降るとベタベタしちゃうし、暑くても萎(しな)びちゃうし、なにしろいっぱい切らなきゃいけんもんでね。

お蚕の成長

 桑付けっていうのは起きた(脱皮し終えた)お蚕に最初に桑をあげる時なんやけど、それをして、拡座(かくざ)(飼育場所を成長に応じて広げる作業)をするんです。そしてしばらくしたら、網入れ(あみいれ)っていうのをやる。お蚕の上に網を置いて桑をやる、そうするとお蚕が上がっていってくれるもんで、底を取るの。糞とか食べない葉っぱとかを取って、綺麗にするんです。お蚕さんもその方がいいしね。それを除沙(じょさ)っていう。
 給桑(きゅうそう)は1日3回かな。2回やるっちゅう感じでもいいんだけど、3回やるのは長年の癖よね。朝からそのままではいけんから、昼にいっぺんお蚕を見ておかんとね。40aくらいある桑畑から、1束は10キロくらいなんやけど、1日に40束、50束、60束持ってくるんよ。あっという間に1日でなくなるね。
 だんだんお蚕にあげる桑も多くなってね、最初からは体重が大体1万倍くらいになる。5齢になって8日くらいしたら上簇(じょうぞく)。すがき(繭を作りたいお蚕)が5割くらい見える時点で、条抜き(じょうぬき)(桑の枝を抜く)をして座をならして、桑をやって回転簇(かいてんぞく)を乗せて、すがきがそこに上がるのを待つ。回転簇はボール紙で出来ていて、格子みたいになってる。そうすると、網入れの時みたいに蚕が自然に上がるようにしとって、上まで上がってくると蚕が重たいもんで下にコロンと回転する。格子になった部屋でお蚕が繭を作るんです。中には遅いのもおるんでね、まだ食いたいっちゅうやつが。そういうのは拾って1ヶ所に集めておく。

桑を食べる蚕を真剣に見つめる

繭が紡がれる

 調子のいい蚕は回転簇に上がってすぐに繭を作りかけるね。大体半日から1日弱でほとんど簇(ぞく)に上がるのでね、それから簇をあげて吊り下げておくんです。2日3日ぐらいで糸は吐いちゃうね、その間に調子の悪いやつは落ちちゃう。あとは、吊る下げておくと尿をするもんで、次の日の朝と夕方にバケツで尿を集める。2日ぐらいすると尿もしなくなるので、尿受けをとって洗って片付ける。あとは蚕室が乾燥するように練炭を2つくらい入れるんです。日中は戸を開けておくからいいんやけど、4晩くらいは練炭を入れて乾燥させる。あんまり乾燥しても良くないけど、そういう工夫はしとるね。
 2つある蚕室の片方にしか回転簇を吊る下げておかへんもんで、片方は僕が綺麗に片付けちゃって、いつもそういう段取りでやっておるね。その間にお蚕が頑張って繭を作ってくれるんよ。

繭を選る

 回転簇をおろして、まゆエースっちゅう機械で繭の毛羽取りをするんです。毛羽取りが機械化できただけでも楽になったね。今はメーカーも作らへんもんで、部品がなくて、修理に持ってったりとかして使ってる。
 出荷するのに選繭(せんけん)するのを、「選(よ)る」って僕たちは言うんやけど。汚れてなくて、糸がたくさんある大きい繭が一番いいんだな。逆に汚れの激しい繭とか、繭はつくっとっても粗い感じの繭があるんや。あとは2人で作った大繭(おおまゆ)とかね。一番悪いのは柔らかい場合ね。中で虫が死んどったり、両端が薄くなってたり。小さいとかはっきりわかるのはいいんだけど、なかなかちょっと見た感じではわからへんのもあるから、1個ずつ見ていくんです。あと音。蛹(さなぎ)が乾いてカラカラって音がすると、おしゃりって言うんやけど、それもよくないね。
 僕のきょうだいも手伝いに来てくれて、うちで綺麗に選って袋に入れてね、加茂野にある岐阜県の蚕糸協会のところまで持っていくんです。それでまた大勢の目で選繭して、いよいよ出荷だね。僕の他にも持ってくる人はおるんやけど、配蚕の時の箱1つで50キロから60キロくらい、調子のいい人は70キロという人もいるね。例年僕は春蚕が3箱で180キロ、晩秋は2.5箱で130キロくらいじゃないかな。陽気がいいせいか、春蚕の方がいつも調子がいいんです。ちなみに、500グラムで繭が210数個あればえらい良い方なんだよ。
 20年前くらいには1年に春蚕、二春蚕(にはるこ)、夏蚕(なつこ)、秋蚕(あきこ)、晩秋蚕、晩々秋蚕(ばんばんしゅうさん)って6回飼っとったこともあってね。その時は親も元気だったもんで、みんなで協力してやっとった。6回やったのは2度やったかと思うけど、その頃は調子が良くて、年間1トンをクリアした時が10年くらいある。平成12年には大日本蚕糸会から表彰してもらったこともあったね。

まゆエースを使い毛羽取りをする奥さんの利子さん

選繭の様子

繭はどこへ

 春蚕は滋賀県に行くんです。2軒の業者の方が取りに見えるもんで、持ってってもらって。座繰り(ざぐり)で糸を引いてね、20個ぐらいの繭から糸を出して1本の糸にするんです。またその糸を取りに見える業者さんが糸を太くして、三味線の糸とか琴の弦とかに使われてる。着物とかには使われていないんですよ。最近はコロナでちょっと景気が悪かったもんで、業者さんもあまりいらないって言ってたけど、これから演奏会ができるようになって増えていくんじゃないかね。やっぱりいい音がするみたいだよ。
 晩秋の方は、群馬県の碓氷製糸(うすいせいし)の方に持っていく。ここでは何に使われてるかはわからないんだけど、昔は春も晩秋もここに持っていってたんですよ。もう10年くらい前になるけど、業者さんと農家と提携して事業をやらなあかんってなって、滋賀県の業者さんに出荷するようになったん。やっぱ製糸会社に売るだけじゃなしに、そういう業者に買ってもらうために農家の方もいい繭作らんと、ってなるしね。

また準備が始まる

 晩秋を出荷してからは、片付けやな。飼育中に2、3回除沙した条(枝)を焼却するんや。繭が上手くできんかったやつも回転簇から抜いてすぐ燃やしちゃうんよ。繭もある程度色がついたり、偏ったものは利用する人もおるもんであげるんだけど、ほんとぐちゃぐちゃのやつは使わへんもんで焼却だね。
 他にも桑園を手入れしたり、除草剤も散布しないけんし、簇を掃除したり、翌年に向けて色々準備せないけんことがあるね。

大失敗

 今年は大失敗やね。あんまり話したくないんやけど、この晩秋は2.25箱買って、出荷したのが5.6キロ。本当は100キロとか120キロとかそんくらいとれなあかんやつが、5.6キロ。ここまでの家はなかったけど、皆さんちょっと晩秋は悪かったね。やっぱ天気とか気候の影響を受けちゃったと思うけどね。本当に小さいうちにね、稚蚕で来てから2日3日暑かったかな。来て3日くらいの時に、これは死んどるみたいなおかしいやつがおった。その前にダメージ受けとったんやね。
 10年前ぐらいに1キロしかとれなかった時があったんや、こんな酷いことはそれ以来やな。今年はほとんど出荷できないもんで、虫のうちにほとんど処分したね。繭にならないもん、繭作らない。せっかく来てもらったのにこんな話しかできんのや。生き物は難しいな。でも仕方ないなと思ってて、また来年に向けて出直しやな。

厳しい現状

 まあ昔はね、加茂郡は養蚕がすごく盛んなところやったもんで、岐阜県全体でも戦後の最盛期には4万戸もあった。この近所のところも軒並みお蚕がおったもんね。近くの古井(こび)に製糸会社もあったもんで。今は日本でも230戸くらいで岐阜県でも10戸。美濃加茂では僕1人だけかな。時代の流れやもんで仕方ないね、こういう時代もあったってことよ。
 現状ほんま維持は難しいもんで、いかに長く細々と続けるか、それしかないかな。息子たちにも継がせられんもんね、養蚕だけでは食っていけへんし、日曜も休まれへんしね。なかなか他の人にやってくれって言っても、施設も道具もいるし、結構大変だね。それにお蚕だけは機械化できないから、実際に飼ってみて失敗したりとかして、自分が成長してもらうしか仕方がないよな。せっかくの技術やで、継いでくれる人があればやってもらいたいと思うけど、今のところいないね。

これからも

 でもね、岐阜県でお蚕を飼う人が少しずつ増えてきてはいるの。ちょっと障がいのある方を養蚕の仕事に就かせてやりたいって始められた会社もあるんですよ。蚕糸協会の理事や相談員の方で、注文やら指導やらしてます。やっぱり養蚕の伝統をなるたけ絶やさんように、お蚕の火を消さんようにってのが僕の気持ちなんです。
 苦しい時は苦しいし、良い繭がしっかり取れりゃ嬉しいし、苦労が報われたと思うし。朝起きてお蚕に桑食わせて、また桑を切ってきてやって、毎年その繰り返しなんやけど、良い繭を作りたいというこだわりを持って、60年続けてきたんです。
 やっぱり養蚕が好きじゃないとできんよね。毎年毎年お蚕の時期が来て、「よし、やろうか」っちゅう気になるもんで。せっかくここまでやってきたもんだから、僕も2月で80歳になるんやけど、少しでも体力の続くうちは続けたいと思ってるね。

【聞き書きを終えての感想】

 白木さんは自分のことを「迷人」だとおっしゃるような、とても謙虚な方です。それは仕事に向かう姿勢も同じでした。毎朝蚕の状態を見て桑をやり、蚕にいい繭を作ってもらうために朝から晩まで働くと言います。単に蚕の面倒を見るだけじゃなく、桑の手入れや米作り、自家農園での野菜作りも行う、まさに働き者です。僕には持ち合わせない、白木さんの真面目さと器用さに驚きました。
 僕が聞き書きから学んだことの1つは、経験の大切さです。僕のような高校生は、学校に行き、授業を受け、部活をして、家に帰ってくる日々を送っています。でも、自分の知らない世界は学校で学ぶことよりもっと広いとわかりました。世界を広げるために、さらに経験を積んでいきたいです。そして、白木さんにお話を聞くまでは養蚕のことなんてほとんど知らなかった僕が、今では少しは養蚕を語れるようになり、仕事に向き合う姿勢を目標にしたいと思える人に出会えたことを誇りに思っています。

【参考資料】
・『お蚕さんから糸と綿と』大西暢夫著、アリス館、2020年発行
・岡谷蚕糸博物館 収蔵品紹介 上州座繰り器 

PROFILE

白木 敏彦(しらき としひこ)さん

美濃加茂で生まれ育ち、高校卒業以来約60年間、4代目として家業である養蚕を営んでいる。現在は米作りも行っており、過去には養豚や麦栽培の経験もある。今では美濃加茂市では唯一の養蚕家となったものの、出荷する繭は高品質で三味線や琴に使われている。岐阜県の蚕糸協会の代表理事を務めており、養蚕業の衰退に歯止めをかけようと活動を行っている。

取材日:2022年9月18日、10月22日

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