千年後も変わらない里山のある暮らし。持続可能な未来を考える

【聞き書き 横家 敏昭さん】

森を育てる名人

自己紹介

 私は横家敏昭です。現在は98歳の母親と家内と私3人で一緒に生活をしています。子供は3人いて、長男が家業を次ぐべく岡崎で勉強していて、あと、娘が2人いて、次女は中国で生活していましたが、現在は日本で生活しています。私のこと含めて岐阜のことも知っていただけると嬉しいです。

白川町とその周辺

 恵那駅の近くが恵那市、隣が中津川市、3キロぐらいのところにリニアモーターカーの工事を今やっとるわ。
 品川からリニアモーターカーが来るんだけどまだまだかなー。そうだねー、再開発でなんというか街がすっきりした。表側はね。裏側入ると昔のまんま。中仙道の宿場町なんですよ。ほとんどのとこらは再開発して、再開発した時点でお客さんが出て行っちゃうから、店辺りもシャッターを閉めざるをえない、シャッター街になってしまうケ-スが多いね。旧市街と新市街。ほとんど田んぼやったわけね。再開発でこうした銀行だとか色んなものができたと言う感覚で、旧市街のとこらは空き家ばっか 。
 白川町はつい50年ぐらい前は人口が1万5000人くらい。今は7000人ぐらい。全国でも最も人口が減ってる町。一番は林業が衰退したということやんね 。

林業の衰退のきっかけ

 町は建築業が盛んで、工務店さんが産直住宅を請け負う件数は全国でもトップクラスなんです。いろんな所がたくさん、産直住宅を請け負うということは、その技術者である大工さんだとか左官屋(しゃかんや)さんだとかそうゆう人たちもうちの町はたくさんいて、その人たちの元、工務店さんというのは、一番最初は何をしてたかというと、製材業をやってた。地元に木材がいっぱいあったから、それを買って来て製材をするやんね。その製材の動力、エネルギーというのは、電気も普及してなかった頃の話だから、全部水車。
 今、建築業者さんの事務所を見ると、古い業者というのは皆、川のすぐ近くに工場がある。そこで水車を回してエネルギー、動力にして製材の機械を動かしてたんだとね。それが昭和34年から40年近くまでその状態があって、その後電気も普及して電気エネルギーにかわったから、一番の基本はそこから始まってるね。
 材料を利用して、どこで建築したか。やっぱり、名古屋を中心に建築をしていったんだよね。そうすると大工さんも左官屋さんもみんな地元から一緒に行って一軒家を建ててくるという、そういうパターンだったんだよね。でも、昭和の間はけっこうそれが続いてたけど、平成になるとだんだん後継者がいなくなり、大きな製材業者から板とか柱とかを買い付けるようになって、地元の木を使わなくなってしまったというのが今の現状なんだよね。九州とかの木を使うようになったから…。

昔の林業の栄光

 特に恵那市に流れている木曽川や白川町に流れている飛騨川流域に生えているヒノキがとても有名で、高く取引されてたやんね。ヒノキがなぜ高く取引されてたかというと、東濃ヒノキという銘柄で、木曾ヒノキも一緒なんだけど品質そのものがとてもいい。単なる白身ではなく、ピンク色なんです。段々と年数を重ねていくにわたって、光沢を帯び、木も段々と茶色になってすごく綺麗になってくんです。
 年輪はものすごく細かく、そんだけ年数が経ってるから1年間での成長率がとても悪い。普通は40年そこそこで木を切って柱材を取ってたんだけど、うちの東濃ヒノキは100年以上たたないと綺麗なピンク色ヒノキにならない。ピンク色の綺麗なヒノキだけを東濃ヒノキという銘柄で本来は市場に出すのだけど、その評価が全然ないから東濃ヒノキという銘柄というのも薄れてきてしまったんだね。

日本の建物の変化

 建築様式が変わって日本も家屋風ではなくなって、柱だとかそういう構造材が目につかなくなってしまったから、「柱の色が良いですよ~」とか説明しても、後から上に合板張ったり、クロス張ったり、そういう評価では今は高い木なんて要らないというのが現実の状態なんだよね。ここら辺の山もヒノキが密植になって植えられているから、下まで日光が当たらず土壌環境も悪化して下草も生えてないし、土が全部下に流れてしまう状況なんやね。森林の多面的機能が急激に失われていると思う。あと、温室効果ガス吸収を森林がやるっていうんだけど、吸収力が低下している。木が売れていかないものだから切った木もほったらかしだし、木も老化している。だから温室効果ガスも吸収しない山が多くなっている。

森は海の恋人

 「森は海の恋人」という言葉があるんだね。森から流れる色々な物が川を通り海を豊かにするという発想なんだけど、この辺の山を見ると海に流れていく腐葉土や養分などはほとんどないし、みんな葉っぱが秋になっても紅葉しない山ばっかだから栄養分として下へ積もらない、そして雨などで流されてしまう山ばかりだね。あと、有機物だけが魚の餌になるわけじゃなくして、そこでいわれているのは鉄分。鉄分はミネラルみたいな感覚で取れるんだけど、人間の血の中に多く含まれているのも鉄分だし、植物が光合成する時に重要な元素も鉄分だから、その鉄分が海へ流れるというのは、海がとても豊かになるということだね。また、赤潮だとかを抑える役割をしているのも鉄分だからね。
 日本は鉄分を多く含んだ土が多いだね。色が赤い土は結構鉄分を含んでいるわけで、それが海へ流れ行くわけだけど、その鉄分が酸化鉄。酸素と結合した鉄分はそこで固まり海へ流れていかないわけだね。還元鉄。いわゆる、酸素と結びつかない鉄分という事で、これはとても流れやすいだね。酸素と鉄分を触れさせないためには、落ち葉の効果も1つあるのではないか。落ち葉がどんどん降り積もることで酸素と土との層を作ってしまう。その中で鉄分が還元鉄になって流れやすくなるという説もある。

日本とよく似た林業

 日本とよく似た林業形態があったのがニュージーランドで、ここも島国で火山国、日本とよく似た地形で林業の形態も全く変わらない経営形態だった。だから、林業も完全に絶滅しまう状態だった。それをある程度改革したのが今の林業機械。日本と同じで急峻な山なわけね。山の尾根に全部道を入れてその道から順番に重機で切ってくんだけど、その重機というのも急なとこだから重機の後ろに鎖をつけて上からしばっておく。しかも、無人で。簡単に言えば上から順番に木を切って倒しながら下に行って、一番下まで着いたら上と下でロープを張って上までつり上げるわけね。一番上ではハーベスターが木材を切って製材にしてしまう。タワーヤーダが最後に戻ってくるときは、木の植穴を掘って次に木を植える準備をして戻ってくるというシステム。このような機械を使うのに100年も掛かって使ってたらとてもじゃないけど採算が合わないし、林業として成り立たないから30年で収穫できる材料を植えてくるんだという形。

これからの課題

 今、うちは東濃ヒノキの質がうんぬんのことは言っとれない。30年で大きく育つ木を植えようと。しかもエンジニアード・ウッドとか、いろいろ木材加工の技術が発達していて集成材にしちゃうから、そんなに質を選ばない状況になってる。そういう時代になったから単なる建築材はそれでもできるけど、例えば、その中から木質バイオマス発電としてとかそういった利用価値がこれから伸びてくるんじゃないかなと思います。そうすると少しでも安く材を提供していくことが必要。工業化学が進む中で製品の流通するなかではそういうことを考えていかなくてはならない状況になってきているから、単なる家を作るだけではなく燃料等に変更せざるを得ないというのがこれからの課題です。

昔の生活

 うちはお風呂のお湯にしても台所で使うお湯にしても、全部木材でやってるから。木材を燃やすときは木材ボイラーでやっとるから、山でたくさんたきぎを作ったりしてる。もう1つは、ここ数年はできてないけど暖房は全部木炭。家で木炭を作り、暖房、コタツにしても。今木炭使うのはバーベキューぐらいかな。
 うちだけが使うんじゃなくて、魚屋さんとかちょっと高級そうなところに納めたりとかしてたね。

普段の仕事

 私は大変になるぐらいまでは仕事しない。今の林業は機械化が進んだから、年をとってからでも踏ん張って力を出そうとかそういう場面が少ないから。私は74歳だから、もうすぐ75歳になる状況でも、それほど負担じゃないね。楽しい方が大きいね。私の工夫でこの山のこの木1本も、 滑車だとか色んなものをつかって道路までひき出すやんね。それもなかなか面白いよ。
 私たちのような人は、自伐林業で、昔は地主さんが自分で木を切ることは無いんだね。ほとんどが分業制で、木を切るのは木を切る専門の人たちがいて、木を道路まで出す人も専門の人たちがいたわけね。木を切る人たちのことを杣(そま)さんと言ってそこで倒した木を「何㎥いくらですよ」だったし、運ぶ人たちも馬で出すんだね。馬で道まで出しているんだけど、でも材木を直に土の上をひきずるから、今のように多く切ってたらすごい量の出荷量になるけど、昔は人数は多かったけど出荷量は少なかったんだね 。

今、木炭を少し作っている

伐採した木を運ぶ林内作業車

季節を感じる樹種

 秋の季節を表す樹木を出荷するんだけど、こういうのは刈り取らず残してあるね。ちなみにこれは「ナツハゼ」。至る所にあって、これを残しながら普通の山の管理してく。そして今残っている木は植林したのではなく天然に生えた木。種からこぼれて下にいっぱい生えた木なんやね。この天然木は非常に珍しいんだけど、残念なことに木がくにゃくにゃしているとか手入れがされてない。しかも、非常に根が細かくピンク色なんです。これが東濃ヒノキの特徴、しかも天然木に多いんだね。ヒノキの色がそのまんまで、辺材と心材の色がしっかりとしているから、ヒノキとしてはとても良いものになる。

ナツハゼ

品質の良いヒノキ

東濃ヒノキと木曽ヒノキ

 東濃というのは東美濃、美濃地方の東という意味で東濃というんだけど、木曽山脈の裏側に位置するから、別名を裏木曽というんだ。その地区で産出されるヒノキや目を細かくしている物を総括して東濃ヒノキという銘柄で出しているんだね。でも、天然のヒノキというのはほとんどなくなっちゃったから、もうこうした植林されたヒノキばっかりになっちゃったわけね。植林もただ植えたらいいわけではなくて枝打ちとかをして、出荷年数は100年近く掛かっちゃうけど物は良いんだね。けど、利用価値が認めてもらえないのが今の現状なんだよね。それが今後のヒノキの課題だと思うし、そういう意味では建築材ばっかじゃなくして、数年前ヒノキを家具に利用するよということで白川町、飛騨地方というのは大きな有名な家具屋さんがあって、そことコラボしてヒノキを利用した家具を売り出したりしたね。

中国との繋がり

 同じ家具の産地である中国のある街で「うちのヒノキを使った家具を作ってください」という交渉に行ったんだけど、今コロナになっちゃったから中断しているけど、ヒノキの利用価値として注目はすごくされているね。しかも、日本はこの無垢の材木を使うんだけど、中国に行くと集成材にして家具をつくるものだから、安い材木として使うんだね。中国で輸出している関係者に聞くとやっぱり材木は国の宝だと。今中国もすごく職人が増えてて、草原地帯で中国の一般的な材木は広葉樹ではポプラなんだけど、それを放牧地帯へ植えるんだけど、遊牧民の人たちは移動制なんだけどね。そこで、遊牧・放牧ができないから、遊牧民を都会へ移住させる意味でどんどん植林をしているという事実であって、これから中国での広葉樹での植林が増えていくだろうなと思う。「日本はなぜ国の宝である木材を輸出するの?」という話もしてたね。日本の木の品質はすごくいいだね。1本1本枝を落として、節をなくし真っ直ぐにさせようとしているね、林業家というのは。

真っ直ぐな木の生育

【聞き書きを終えての感想】

 楽しく林業の仕事をしている横家さんは、初めて会う私を笑顔で受け入れてくれました。1回目の取材では、岐阜県や今の林業状況について色々と説明をしてくれました。2回目の取材では、岐阜県のご当地や横家さんの楽しみや趣味について楽しそうに説明をしてくれました。色々な樹木を育てそこから生け花用の木を採取したり、小さな畑で食卓に並ぶ野菜を作ったり、山の頂上には木材のみで造られた大きな別荘がありました。室内はとても広く癒される空間でした。横家さんは人柄も良く、林業の仕事をより一層楽しく仕事ができるように日々工夫をされています。山を管理すると言う事は、その瞬間だけでなくその先のことも考えていかなければなりません。そのようなことも林業の仕事の楽しみだと知りました。横家さんとこのようなことについて話し合えてとても嬉しかったです。 

PROFILE

横家 敏昭(よこや としあき)さん

出身地は岐阜県加茂郡白川町。昭和41年加茂高校普通科卒。同43年岐阜県農業講習所卒。同43年農協営農指導員。同51年退職して家業の農林業に就く。以降現在まで50ヘクタール、農地1ヘクタールを経営、その間公職として町議会議員3期、町長2期務める。


取材日:2022年9月10日、10月29日

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