千年後も変わらない里山のある暮らし。持続可能な未来を考える

【聞き書き 加藤 孝明さん】

伝統を受け継ぐ酒造 ~伝統と諸行無常の共存~

自己紹介

 私は加藤孝明といいます。昭和25年の4月生まれの73歳です。生まれも育ちも岐阜県川辺町。父、母、男兄弟3人と育ったね。大学卒業して、1年醸造試験場ってお酒の学校に行った。それから、静岡で1年間あちこち行って働いたりしていた。そして今は白扇酒造の4代目社長と社会福祉協議会の会長をやっているね。他にも川辺町の商工会長をやっていたこともあったね。

白扇酒造に携わるまで

 実は昔から酒造を継ごうと思っていなくって、私は基本的には風来坊なんやね。ほんとは定着していたくない人。実際に20歳の時に、ヨーロッパに行ったんよ。ロシアからハバロフスクまで行って、シベリア鉄道でずっと行く。親切な人がいっぱいいてね、私なんかを一晩泊まらせてくれたりしたの。それで4ヶ月もぶらぶらしていたの。
 3回目の旅で南米のマナウスってところに行ったんよ。その時に町で偶然、黒人の男の人から「あんた日本人かね? 僕日本人なんやわ。なんでこんなところに来たの」って日本語で尋ねられたの。半日くらい話してたんかな。その人は、神奈川県の児童養護施設、エリザベス・サンダース・ホームっていうところの出身で、日本人と黒人のハーフだったの。「僕の居場所は日本には無いんやわ」っていう話をされたわけ。私より少し上くらいの年齢だったんだけど驚いてしまってね。別れてからも、「僕の居場所が無い」ってどういうことなんだろうってずっと考えてた。それから居場所にこだわるようになった。会社っていうのも同じく居場所が必要で、自分がどこにおるかっていうことがものすごく重要なことに気がついた。
 私が今の会社に来た時は日本酒が全盛時代で、昭和57年くらいには、年間の製造量が1千万石(一升瓶10億本分)までいったんよ。日本酒が売れまくってたわけ。当時、日本酒メーカーが3600社あったの。みりんのメーカーが100社。格段に差がある。それで、日本酒メーカーから勝ち上がるのは無理やと思った。みりんについて親父に聞いたら、「江戸時代から伝わっている作り方のみりんがある」っていうわけ。それで、「古いみりんがある」っていうから味をみたら、圧倒的に古いみりんのほうがおいしいわけ。これが他には無い、昔ながらの伝統的なみりんを作るっていう居場所の話だ。私の会社の居場所はこれで行くといいかなって。これが始まり。

日本酒・みりん作りの一年

 一年のうちに、日本酒は150キロリットル、みりんは300キロリットルをそれぞれ仕込む。そして完成するまでに日本酒は1年、みりんは3年いる。
 日本酒の基本的な作り方っていうのは、江戸の末期ぐらいに兵庫県神戸市の灘(なだ)で発明された生酛造(きもとづく)りっていう基本的な作り方になる。お米のとぎ汁から乳酸菌を作る。その中で酵母だけ残って、他の菌は死んじゃう。それを上手く利用して、純粋に酵母を育てていくやり方で、その技術を今も使ってみんな日本酒を作ってる。夏だと雑菌に汚染されて駄目になっちゃうけど、冬の間の温度が低い時にそれをやると良いお酒ができる。
 だから、10月に新しいお米が穫れて、3月~4月ぐらいまでの仕事になる。だから夏が空いちゃってるわけ。でも、白扇酒造にはみりんがあるんや。みりんには焼酎が必要だから、焼酎を夏に作る。そして秋にみりんを作って、春はみりんを絞る。酒屋なのに、うちは夏場も仕事ができるやん。だからみりんと焼酎があるってことが、我々にとってはものすごく有利で貴重な状態ってわけやね。

日本酒の源~麹造り~

 日本酒を造るための酒米っていう米がある。酒米っていうのは、バサバサしてないといかん。酒米につく麹がバラ麹っていう一つ一つになっている麹だから、もち米みたいな粘り気が強い米だと、くっついて上手くバラ麹にならない。また、良いお酒を作るためには精米する必要があるんだけど、普通の米は精米の時に割れちゃう。でも優秀で有名な酒米は割れない。これが大事。基本的には岐阜県の酒米で「ひだほまれ」を使っている。
 そして、酒米は炊かずに蒸す。蒸した酒米が仕込みのほうへ行くのと麹へ行くのと2つに分かれている。麹のほうは2日間かけて、真っ白になるまで温度調節や湿度調節しながら待つ。大体32~33度くらいで麹菌を増やす。麹菌によっては温度や湿度が違ってくるので、真ん中と外と温度が違っちゃうから、それを夜中だろうと何度もかき回す。だから多分ね、世界のお酒の中で一番作るのが難しいのが日本酒だよ。

保管されている麹と加藤さん

袋の重みでみりんを搾る様子

伝統のみりん造り

 みりんはたくさんの米と麹と焼酎を入れてかき回す。この時にね、米が焼酎を吸って大きく膨らむ。パンパンになっちゃうので櫂(かい)という先が四角くなっている棒で突き崩しながらかき回す。力仕事やね。そして1週間経つと溶け始める。
 次にみりんを搾る。溶けてきたものを袋に入れて、下から順番に積み上げてそれぞれの袋の重さで搾ってる。袋の重さである程度搾れると、上から板でプレスする。このようにしてみりんが下へ下りてくるんだけど、みりんは重たいしドロドロもしてるんで非常に時間がかかるんだよ。3日ぐらいかかっちゃう。でも今、このような搾り方をしてるところはほとんど無い。日本酒は半日ぐらいで全部搾れるんだけどね。
 この後に袋に残ったものがみりん粕で、袋から出して容器に入れる感じ。ここでできたみりん粕のほとんどが、守口漬っていう岐阜市や愛知県扶桑町の守口大根をみりん粕で漬けた漬物になる。守口漬は最初に酒粕で漬けて、最後にみりん粕で漬けるから、甘くなる。

こだわりの三年熟成みりん

 白扇酒造の商品には3年熟成のみりんがあるね。熟成するっていうことは、麹菌の作用で後からアミノ酸とかが出てくる。搾れた直後では、みりんというのは白かったり透明だったりしてほとんど色が無い。ところが1年経つとちょっと黄色っぽくなってきて、2年目にちょっと黄金色になって、3年目には茶色みがついてくる。で、4年~5年経ってくると焦げ茶色になって、10年経つと真っ黒けになっちゃう。暑い夏に熟成が進み、寒い冬には熟成が進まないっていう、みりんをただ常温で保管するだけの熟成の仕方。
 どうして私が3年で売ってるかっていうと、5年経つとちょっと色が濃くなりすぎて、料理に使ったりすると料理がみんな黒くなっちゃうっていうのがあって。それで使ってもらうにも味的にみても適切だろうと、1つの区切りにして商品化した。みりんは比重が1・16なんでめちゃくちゃ重い。なぜかというと糖分が多いからで、白扇酒造のみりんの糖度は48。大体果物の甘いのが糖度20くらいで、蜂蜜が80ぐらい。だから蜂蜜の次ぐらいに甘く重たい。
 熟成すると、後々に出てくる味がたくさんあるわけ。これが昔からのみりんの大きな特徴で、混ぜものが無いんで、麹で作ってあるところに大きな熟成の特徴が出る。

東南アジアでの学び

 私はコロナ禍になる前までは、毎年ベトナムやカンボジアやラオスとかに行ったね。何をしに行ったかというと、発酵のルーツについて学ぶため。東南アジアは30度くらいの気温だから、置いておけば発酵できちゃうの。それに、東南アジアの納豆菌と日本の納豆菌は不思議なことにDNAが一緒なの。ということは、納豆菌が向こうから伝わってきているっていうことを言っているの。そういう発酵のルーツを学びに行ってるの。

伝統的で不思議な「酒買いの祭り」

 川辺町で古くから伝わっている酒買いの儀式という祭りは、お米の豊作を願う春の祭りとして行われているの。4月の第2土曜日にある試楽(しがく)が前夜祭。本番の本楽(ほんがく)は次の日の朝6時ぐらいに、天神様の使者である沛王(はいおう)のお面を被った人が、笹を持ち獅子を連れて酒を買いにくるところから始まる。
 沛王が持ってきた壺にお酒を入れて買ってもらう。沛王からもらったお金が一文足りないってことで私たちがいうんやけど、「もう一回数え直せ」っていうからもう一度数える。そして、「お金はきちんとありました」っていう。次に、沛王が壺にちょっと指を入れて、「指に液がつかない。いっぱい入ってねえじゃねえか」って怒る。こんなわけだから、もう一回入れ直して注ぎ足す。これで「液がついた」っていってもらって交渉成立。その後、獅子が何回も通りすがって、最後にパクッてやってお詫びする。そんな感じの祭り。
 こういう祭りがあんまり無いっていうので、結構皆さん見にきたりする。そういうのをずっともう長年やってきてるよね。

白扇酒造での仕事を通じての思い

 仕事に限らずやけども、「諸行無常」っていうのを大切にしている。もちろん、昔の伝統を引き継ぐっていうのも大事やけど、世の中変わっていくのが当たり前。すべての事柄に常は無いんや。これを覚えておくと、いろんな変化ごとに対応できるようになる。
 そして、良かったなっていうのは、こだわりを持ってみりんをやってきたおかげで、良い人の輪が凄くできた。優秀な知り合いがいっぱいできたこと。優秀なっていうのは、簡単にいうと自分にできないことができる人のこと。そういう人たちが、いっぱい世の中にいることが良く分かったこと。その優秀な人とつき合えることが一番楽しい。本当そう思うよ。後は、自分の存在すべき居場所を持つことができたことやね。

【聞き書きを終えての感想】

 今回、2回という少ない機会でしたが加藤さんのお話を聞いていると、仕事への思いや加藤さん自身の生き方の芯となっている部分がとても伝わってきました。初めは私自身、とても緊張していましたが、加藤さんのお話を聞いていると、どんどん興味深くなってきて、いつの間にかお話を聞くのに夢中で、緊張していたことを忘れるほどでした。
 たくさんの、私の知らない世界を、そしてこれからの世代にも知ってほしい日本の伝統を直接聞くことができて、本当に聞き書きに参加してよかったと思いました。そして、この「伝統を受け継ぐ酒造~伝統と諸行無常の共存~」を通して、たくさんの人に伝えられたら幸いです。

PROFILE

加藤 孝明(かとう・たかあき)さん

生まれも育ちも川辺町。大学卒業後に醸造試験場で酒造を学び、静岡県で1年働いた。現在は白扇酒造株式会社で4代目社長を勤め、伝統的な酒・みりん作りをしている。発酵を学ぶために、発酵のルーツである東南アジアを広く歩き研究も行っていた。

取材日:2023年10月28日、2024年1月13日

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