千年後も変わらない里山のある暮らし。持続可能な未来を考える

【聞き書き 井戸 春子さん】

山之上を繋ぐボランティアと料理

自己紹介

 私は井戸春子と言います。昭和24年、2月生まれで、74歳です。生まれも育ちも、岐阜県美濃加茂市山之上です。ずっとここに住んでいます。
 家族は、主人が79歳かな。で、一番下の娘と、孫と一緒に住んでます。孫は中学2年生。

今の生活

 仕事はね、前はJA(農業協同組合)に勤めてました。退職して、今は家庭菜園でお茶を作ったり、お米を作ったり、野菜を作ったり。あと自分の趣味でボランティアをしています。
 ボランティアが趣味で、今は生きがいです。色々なボランティアをやっています。例えば、「山之上まちづくり協議会」ってところで、山之上を自分たちの手で良くしようと色んなことをやってます。花壇を作るとか、それから山の木を切って薪にするとか。積極的にやってるのは20人ぐらい。地域でサロンというのもやってる。お年寄りを集めて200円でコーヒーを出して、季節の昔からのお料理とか季節の材料を使って皆さんに提供してる。

子どもの頃の山之上

 小さな頃から、ここ山之上の自然に囲まれて育ちました。
 子どもの頃はゲームも何もないので、友達と山へ行って、みんなで色々な植物を取って食べてました。春になると虎杖(いたどり)とか。アスパラのような感じのものが春に出てきてね。学校から帰ってきたら公民館に集まって、5、6人が新聞紙に塩を包んで。「さあ行くよ」って取りに行って、そしてみんなで皮をむく。塩をつけて食べた。秋になると、たちうすぼぼ(植物の実)とか色んな赤い実がなって、それも学校の帰りにみんなで山の中へ入って取りに行きました。ランドセルを道路に置いて、みんなで取って食べてました。
 昔はああおいしいねって言って食べたけど、今食べたらおいしくない。やっぱり昔の方がそう何もない時だったから。お菓子とか、そういうのもそんなにない。あっても、農家ではあまり食べられなかったね。だからそういうのを取りに行って食べたんだけど、でも、それが遊びの一つだったもんね。それが食べたいで取りに行くっていうんじゃなくて、みんなで一緒に取りに行くっていう遊びだった。
 あとは、鍋焼きっていうのもあった。ホットケーキのような感じやけど、ただ卵と小麦粉とお砂糖とを混ぜて、大きな鍋にバーンと焼いて食べてた。これも今食べたらおいしくないけど、それはそれでおいしかった。

農業との関わり

 小学校に入る前から、家でサツマ芋とか色々作っていて、その手伝いをしていました。それで、サツマ芋の茎を取って首飾りにしてた。茎をペキペキッて折るとネックレスみたいになるので、それをつけてました。だから、季節ごとに家で作ってた野菜とか、そういうのを利用して遊んでました。
 それから、麦を作ってたので、麦蒔きを手伝ったりとか、麦踏みをしたりとか。麦がね、寒いと凍てついて上がってしまうので、麦を踏むの。それを麦踏みっていうんだけれど、それをやったりとか。6月、7月頃になると麦刈りのお手伝いとか、サツマ芋を掘ったら揃えるお手伝いとか、色々やってました。草刈りもしました。
 あとは、田植えも手伝ってました。田植えは家族みんなで。苗田があるので苗を取って。植えたりもしたし、苗を田んぼにほかったり(投げ入れたり)とか、そんなようなことを。農業のことをすべて、子どもなりに手伝ってました。
 うちは、兼業農家なので、男の人は勤めて女の人が農業をやってた。だから、私のおばあさんと、私の母親と、私との3人で農業をやってた。麦とかサツマ芋とか野菜とか豆とか、そういうのを作ってて。その作業はほとんど女の人がやってた。結構重労働だよ。男の人は日曜に手伝うとかしてたけれど、本当に私のおばあさんとかお母さんはすごく仕事をしたなって思って。今でも感心しています。何も娯楽とかそういうのがない時代に、本当に一生懸命畑仕事をやってた。そういう姿を見てるから、子どもなりに一生懸命手伝わなきゃいけないなって感じて。その時は嫌だったかもしれないけれども、それがあったからこそ、今も自分は野菜を作ったり、土仕事をしたりするのが何の苦にもならない。かえって嬉しいなって思います。

井戸さん宅の畑

春の料理

 小さな頃から、よくおばあさんと一緒に季節の料理を作ってました。例えば、よもぎ。よもぎ餅っていってね。ここらにいっぱいよもぎが生えるんだけれども、春になるとよもぎをおばあさんと取って。よもぎ餅とかよもぎのお菓子を「ぶんたこ」っていった。よもぎにあんこが入って扇のようになったやつ。それを、その年一番に春のいぶきを感じる食べ物として作っていた。
 そして、お祭りにはお祭りの料理っていうのがあって。4月の始めの春のお祭りね。十二社神社っていう神社で、3歳から10歳ぐらいまでの男の子と女の子は着物を着て踊るの。今はコロナでちょっと休んでるけれど、ずっとそれは続いてきてるの。とてもいいお祭り。そのお祭りでは、ごちそうにツボ(タニシのこと)の味噌和えっていうのがあって。子どもの頃、田んぼにツボがいたから、小っちゃいバケツを持って、みんなでツボを取ったよ。そしてそれを、大きなお釜で煮て、蓋(貝の殻)を取って綺麗に洗って、味噌で和える。それがごちそう。

稲作とお餅料理

 春のお祭りが終わると、今度は田植えがあるよね。そうすると、昔は苗を手で植えてたから人を頼んでやるのね。それで、お手伝いに来た人に「田植えぼち」っていうのを振る舞っていたの。いつもおばあさんに教えてもらって作ってた。私が小学生の頃ね。まず、米粉にあんこを入れて、丸くして蒸かす。それで、山帰来(さんきらい)の葉とか、朴葉の葉とかそういう葉っぱに包んで蒸したりとか。その頃になると、柔らかいススキが出てくるのね。だから、その柔らかいススキの葉っぱを洗って敷いて、そこの上にぼちを並べて蒸かすの。それが田植えぼち。
 日本って稲作が主なので、お米が大事ね。何の時でもお米を使うんやね。ここら辺の風習としては、お餅っていうのがすごく重要で。夏の土用には、餅をついてあんこをつけて、土用餅を食べて。秋になると稲刈りが始まるので、またその時もおはぎを作って。

年末年始の料理

 お正月の前、12月31日にね、お正月のごちそうの「お平(ひら)」というものを作ってました。畑で採れたごぼうとか、人参とか里芋とか。そういう山のものと、昆布やしいたけ、お豆腐、油揚げなどを入れて、大きな鍋で煮て、毛昆布というのをいっぱい入れて。いつも外で大きく火を焚いて作ってたの。それが大晦日のごちそうだった。それと、野菜を7種類か8種類を煮たのと、イワシを焼いて食べるのが31日だった。お正月は、三が日に、女の人があまり働かなくてもいいように、お平をたくさん作っておいたのを何回も煮直して食べてた。今、作る人はいないかもしれないけど、昔はここら辺の人はいつも作ってた。
 それから冬は、例えばこんにゃくを作った。おばあさんとこんにゃくを一緒に作ってたの。採れた芋で。こんにゃく芋も畑で作ってたの。あとはお豆腐を作る。お豆腐も、今は便利でミキサーとかあるみたいだけど、昔は石臼で豆をほとべといて(水に浸しておいて)、それを砕いてお豆腐を作る。今もJAの女性部の人に教えたり、お豆腐作りは食育っていうので、各小学校にお豆腐作りを教えに行ったりしてます。

井戸さんの畑でとれたこんにゃく芋

こんにゃくをゆでる様子

ボランティアをするようになるまで

 学校は、山之上小学校に行って、美濃加茂東中学校へ行って、それから加茂高校へ行って。大学は行かずに会社に就職しました。その後結婚して、子育てで家にずっといました。子育てが一段落して、子どもたちが小学生に入ってから、40歳になって初めてお勤めに行ったの。農協の有線放送っていってね。昔はNTTの電話がこの辺はなくって。各家庭にスピーカーがついていて、農協が有線放送っていうのをつけてたの。私はそこでアナウンサーっていうか、原稿を書いて放送するお仕事をしてたの。農協のお知らせ、市のお知らせ、お悔やみのお知らせ。そういうのを全部自分で書いて。それから、色々なイベントに取材に行って、それをまとめて1つの番組として放送してた。今はもうないけどね。そういうのを60歳ちょっと前までやってました。
 父は農協に勤めてる頃から介護が始まっていて、60歳前に母が認知症になって。それから父と母を10年ほど介護して見送って。ボランティアが仕事になったのはそれから。

地域に密着したボランティア

 話してきたように、季節のものを使った昔ながらのお料理が得意かな。農協では、弁当作りを頼まれることがあるの。この間も味ごはんを300食とか作って。それはまちづくり協議会のみんなでやってます。地域の市民まつりにお弁当を作ったこともあります。
 それから、山之上小学校にも行きます。卒業式と入学式に大きなお花(演台の横の花)を立てるんだよね。多少は買ってるんだけれど、地域のお花を使って作ります。
 あとは、私たちの小さい頃、山之上小学校には「山の上子ども音頭」っていうのがあって。ずっと踊り継がれてたんだけれど、一時途絶えてしまって。それを私たちが、なんとか復活させようとして。自分たちが昔踊っていた踊りを教えに行ったことがありました。私が小さい頃に踊ってたのを思い出しながらね。今、子どもたちは全部踊れます。私たちの同窓会では、必ず山之上小学校の校歌と、その山之上子ども音頭っていうのを踊るの。だから今の子どもたちも、大人になってもみんな、山之上というところを忘れないように。山之上子ども音頭っていうのを覚えていてくれて、ずっと思い出してくれたらいいかなと、そう思って復活させました。

クラフトバンド教室

 クラフトは、アナウンスの仕事をしてて、少し暇があった時に、誰かがかごを作ってて、私も作りたいなっていうので作り始めて。最初は1冊の本を買って、それに載ってるものを全部作ったの。その時、農協でお菓子とかパンの作り方を教えてたんだけれど、パンをかごに入れて持って行ったら、パンよりそのかごを教えてほしいっていうことになって。それからかご作りの教室が始まって、もう十何年になります。それも半分ボランティアのような感じだけれど。色んな編み方があります。季節やイベントごとに色々作る。今はもうすぐクリスマスなので、クリスマスの感じのやつを作ってます。楽しいよ。

実際の井戸さんの作品

ボランティアの毎日

 結構忙しいです、毎日。でも、人に喜んでもらえるのが好きっていうか、自分自身の励みにもなる。人が喜んでくれると自分もなんか嬉しいなって思ってやってます。自分のためにも。
 人との関わり合いが好きで。ボランティアは、みんなで一緒にやったっていう達成感が嬉しくてやってるかな。昔の料理を作るのも、昔は食べたけどもう今は食べてないなっていう人たちにも懐かしんで食べてもらいたいな。若い人にはこんな料理があるよって伝えたくてやってる。ボランティアを一生懸命やって、自分も楽しんで向こうも楽しんで。これからもまあ、元気でボランティアができたらいいなと思ってるね。ボランティアやサロンで、みんなで季節の料理や伝統的な料理を一緒に作ったり伝えていきたいな。元気で色々したいなって。

若い人に伝えたいこと

 体験をすること。自分の体を使った体験をするといいかなって。まあ、本の上の勉強も大事やけど、色々なことを動いて体験するっていうのは、後々になって役立つね。そして、嫌やなって思うことでも、後々になって「あ、あれやったからできるな」「こんなことも、自分はあれがあったから平気でできるんやな」とか、そういう風に考えられるかなって思って。色んなことを体験するのはとても良いことやなと思う。ので、どんなことでもやってみて。まあ失敗は失敗で、またそれは1つの段階。失敗って怖いよね。でも、何にも失敗なしより、失敗したからこそ、「あ、次はこれはこういう風にした方がいいかな」って分かる。失敗を恐れず色々なことに挑戦して、やってもらえるといいかなって思います。
 それから、人間的に、人の気持ちが分かる人になってほしいなって。自分のことばかりじゃなくてこう、相手の立場に立って考えたり。助けるなんていう大きなことじゃないけれども、自然にね、そういう行為がね、できるといいかなって思います。

一緒にこんにゃくを作る様子

【聞き書きを終えての感想】

 井戸さんはとても元気で素敵な方で、取材は本当に楽しかったです。1回目の取材では、お話を聞きながら柚子のシフォンケーキと紅茶をいただきました。とてもおいしくて、お料理のお話が弾みました。2回目の取材では、実際にお料理を作ってみようということで、井戸さんの畑で採れたこんにゃく芋でこんにゃく作り体験をさせていただきました。こんにゃく芋を見るのも初めてでしたが、初めてだらけの作業を楽しくできました。できあがったこんにゃくはとてもおいしくて、自分で作れた達成感が最高でした。
 普段何気なく食べているものすべてが、誰かの苦労や努力からできていることを実感するとともに、もっと食べ物に感謝したいと思いました。そして、楽しみながら地域に貢献する井戸さんの生き方を大変尊敬しました。ほとんど毎日、何かしらのボランティアや地域の皆さんとの活動をしていると聞いて驚きました。井戸さんのように、人のために働きかけたら自分も嬉しくなるような生活を、これからの進路のなかで考えていきたいなと思いました。

PROFILE

井戸 春子(いど はるこ)さん

岐阜県美濃加茂市山之上にて生まれ育つ。子どもの頃から農業を手伝い、ずっと続けてきた。祖母から農業や季節の行事、料理などを教わる。現在は「山之上まちづくり協議会」の副会長を務め、季節の伝統料理を振る舞ったり、小学校へ食育を教えに行くなど、精力的にボランティアを行っている。

取材日:2023年11月19日、2024年1月13日

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