千年後も変わらない里山のある暮らし。持続可能な未来を考える

【聞き書き 渡辺 洋子さん】

地元を越えて親しまれる白川町の味噌

自己紹介

 名前は渡辺洋子。昭和27年6月生まれの71歳。生まれ育ちは白川町内。今現在のうちの家族構成は、私ら夫婦と長男夫婦です。もともと主人が春日井市に住んでいたので、結婚した時は私、春日井市に住んでいたよ。そこに9年間いて、長男長女が生まれて、長男が小学校1年生になると同時に白川町へ戻ってきた。もともと白川町に家があったし、親たちもいるもんで、生まれた家に帰ってきたって感じやね。初めは嫌やった向こうの生活に馴染んでたのに、引っ越してきて。今となっては仕方ないなって思って。帰ってきてもう40年になるね。

白川町の様子

 白川町は水がきれい。飲み水はほとんど地下水。私らもそうだし、結構みんなそれぞれ井戸を掘ってるんじゃないかな。地下水はおいしい。
 あと年に1回お祭りがあるわね。その地区ごとの夏祭り。実家のところは笠をかぶって杵持って踊る、杵振りの踊りがあるんだけど、それが地元で結構賑わってたんやね。コロナで3年、4年ぐらいやってなくて、やっと去年からまたやり始めたんじゃないかな。

味噌作りのきっかけ

 平成13年に当時の町長から白川町の学校の子どもたちに手作りの地味噌を食べさせてあげたいっていう提案があって、それで味噌作りの募集があったのね。その時に私応募したの。それからずっとやってる。その時には20人くらい来てたけど、遠いところから来てる人もいたり、あとはもう辞めたりで、募集かかった時から今まで残ってるの2人だけになった。子どもたちに味噌汁を飲ませてあげたいっていうことで参加したんかな。
 今の味噌工房は平成15年からやってるから、もう20年近くやってるよね。
 味噌作りは初めてだった。もう全部みんな素人で一から。だから美濃加茂の施設に見学に行った。そこへ見に行ったり、役場の人たちと試行錯誤して、今の作り方になったんよ。最初は白川の道の駅のほうに施設があって、そこで作業してた。外で火を焚いて豆をゆでたり、最初の1年はもうほんと手作業やね、すべて。今の味噌工房は新たに建ててもらって、作業も機械やガスを使ってやってるんだけど、慣れるまで大変やった。最初のころは今よりもほんとに人数が多かったから、5年ぐらいは大変だったんじゃないかな。20人ぐらいいて、同時に5人か6人くらい出勤してた。やけど徐々に辞めてく人もおったし、人数も作り方もだんだん定着したってことかな。私たちは今味噌工房で、女性7人で味噌を作ってる。今は1回に4人出勤で一番いい。作業も分担できて。

工房で作る味噌

 味噌は米味噌、麦味噌、豆味噌の3種類を作っています。米味噌は甘くなり、ちょっと白っぽい。麦味噌はここら辺でいうと昔ながらの田舎味噌っていって一番定番かな。それから一番売れるのは豆味噌。大豆の粒がまだ残ってるので、それが珍しいって。道の駅でも可児のとれった広場(JAめぐみのとれったひろば可児店)でも、すべて豆味噌が一番に売れるもん。一昨日も名古屋からのお客さんが来て、豆味噌の粒がいいからほしいって、初めてのお客さんやけど10㎏買ってくれた。
 味噌は寒い時に作ったほうが良くて、夏場は温度が上がってカビが生えたりしてちょっと無理らしいから冬場の仕事やね。冬場でも、圧力鍋なんかの蒸気がかかったりするからほんと暑いの。機械はミンチ機やら撹拌機、発酵機ぐらいで、あとは混ぜて桶に入れてね。手作業もあります。
 味噌の作り方は、まず大豆を一度蒸して、麹菌を混ぜる。滋賀から取り寄せた麹菌を豆に混ぜるわね。そしたら豆麹ができるのよ。発酵機に入れて40時間寝かせる。40時間寝かせると麹がついて固まって、ものすごいきれいな色になるの。
 そして2日目にやっと仕込む。今度は新たに大豆を圧力なべで煮て、ミンチにかけたものを扇風機5台くらいで冷ますのね。それに麹菌を混ぜた大豆と塩を混ぜて、桶に入れて1年間寝かせるの。ビニール袋に入れた10㎏の塩の重し乗のせて、寝かせておくだけ。作ったら1年間出さない。1回も混ぜず中も見ない。作り始めて味噌の完成までにだいたい1年。米味噌の場合は10か月くらいで出すけど、豆や麦は1年ぐらいで出す。
 一番手間がかかる味噌は豆味噌かな。豆味噌は発酵機に入れる時にね、あんまり暖かいと良くないし寒いのもだめで、温度を根気よく見なきゃいけない。それをやらなければ納豆になってまう。その時は使えないし、どうしようもないから、また発酵機も全部消毒して、きれいに掃除してから作り始める。そうなったことも何回かあった。麦とか米は発酵機に入れればほとんど大丈夫だけど、豆だけに一番手がかかるね。
 豆味噌は一シーズン40桶ぐらい作るよ。だいたい一つ平均60㎏で40桶。2トン超える。量としてはものすごい。豆が一番売れるから。給食センターも豆、米、麦みそを使っている。

発酵機に入れる様子

 そして2日目にやっと仕込む。今度は新たに大豆を圧力なべで煮て、ミンチにかけたものを扇風機5台くらいで冷ますのね。それに麹菌を混ぜた大豆と塩を混ぜて、桶に入れて1年間寝かせるの。ビニール袋に入れた10㎏の塩の重しのせて、寝かせておくだけ。作ったら1年間出さない。1回も混ぜず中も見ない。作り始めて味噌の完成までにだいたい1年。米味噌の場合は10か月くらいで出すけど、豆や麦は1年ぐらいで出す。
 一番手間がかかる味噌は豆味噌かな。豆味噌は発酵機に入れる時にね、あんまり暖かいと良くないし寒いのもだめで、温度を根気よく見なきゃいけない。それをやらなければ納豆になってまう。その時は使えないし、どうしようもないから、また発酵機も全部消毒して、きれいに掃除してから作り始める。そうなったことも何回かあった。麦とか米は発酵機に入れればほとんど大丈夫だけど、豆だけに一番手がかかるね。
 豆味噌は一シーズン40桶ぐらい作るよ。だいたい一つ平均60㎏で40桶。2トン超える。量としてはものすごい。豆が一番売れるから。給食センターも豆、米、麦みそを使っている。

仕込み終わり桶に入れて寝かせる味噌  約60kgの重さがある

味噌工房での仕事

 発酵機から出すのは40時間後でだいたい2日に1回やね。だから1か月でやると15日間。豆だけでも40桶、麦でも20桶ぐらい作るでしょ、それから米も作るでしょ。だからもうずっと1日おきに出勤。今年も11月の21日から2月いっぱいぐらいまで。朝、発酵機から早めに出さなきゃいけないので、4時くらいに味噌工房に来る。朝早くは寒い。だけど様子も見に来ないかんし、どうしてもその時間に来ることになる。発酵機から出してから、それからうちへ行ってご飯食べて、また朝6時半ごろ来る。だからどこにも出かけられない。冬場ずっとそんな生活。休みなく。1年が経つとまた忘れてまうから、作業を間違える時もある。「あ、そういえばこうだわ」って思い出して、その年の11、12、1、2月に一生懸命やる。だけどなんだかんだ、みんなそれぞれどことなく覚えててやるんだけどね。
 それにコロナやらインフルエンザになると大変やわね。今発酵機に入れたものはでき上がるし、仕事はやっていかなきゃいけないでしょ。いくら何があっても人数何とかして出なきゃいけないから、始まる前に一応いうんやよ。健康でいるように。1人減ると大変。出勤回数が増えるし、休みやと思ったら出なきゃいけないっていうことになるし大変やと思うよ。

味噌工房での作業の様子

こだわりの原材料

 米は町内産ね。地元の。大豆も町内産。麦は岡山県産。ほとんど町内産のものだし、添加物も入ってないから安心だよね。県外とか、結構海外からの輸入ものが多いし、外国の大豆なんかを使っとるところもあるんだけど、町内産の地元の大豆を使っとるのが、一番の自慢です。ここら辺で休耕、田んぼを作らない時に大豆を植えて、その大豆をこの味噌と、他に豆腐を作ってるところに分けてくれるの。みんな裏の食品表示のところをよく見るもんね。どこ産とかっていって。ちゃんと大豆は町内産って書いてあるの。
 米は、地元の人が新米を食べるころに余った古米を分けてもらうのね。だから地元の米でそれも安心だね。普段食べとるお米だから。
 麦が岡山県産だけど、地元にそれだけたくさんの丸麦がない。もう作ってないもん。うちら20㎏の袋を年間40袋ぐらい使うんかな。それだけの量は自分たちで注文してもないから、農協(農業協同組合)に頼んで配達してもらう。いっつもおんなじ麦。麦でもだいたいアメリカ産とかやもんね。国産は作っとるとこ、わずかだと思うよ。
 塩も普通の塩じゃなしにシママースっていって沖縄の塩。、ずっとね。甘味なんかがあるらしいんだわ。そこの塩を常に買ってるんだけど、今年の4月から値上がるっていうことで余分に買った。始まった時からそれやもんで変えるわけにもいかんし、変えて味が落ちるといかんもんね。だから変えることできないもん。値上がってもまたその塩やわね。
 値上がりがきついんだよ。味噌の値上げは厳しいから、量を少し減らそうかっていうことにして、今は量を減らして販売している。もとは500gと700gと1㎏があったの。だけど600gと900gの2種類にした。今まで量は減らしたことはないけどね、初めて。値段は2年ぐらい前に650円から680円に30円上げたんだけど。みんなに分かってもらえて、100gずつ減らしてやってるんだけど、もうどこもみんな値上げするもんね。何から何まで値上げだもん。どこも大変だと思う。それに一昨年が豆が不作でね。だけどどうしても作らなきゃいけないから、大豆の形が悪い豆でも、味が落ちるかもしれんけど、それでも何とかして作った。
 

学校給食から地域、県外まで広まる味噌

 どうしても豆味噌と米味噌だけは給食センターへ出す。この前持ってったのは豆が10㎏と米が10㎏。毎月何がなんでも、給食センターの分だけはどんなことがあっても取っとかなきゃいけない。子どもたちは喜んで食べてくれるよ。おいしかったとか感想文をくれたりね。年に1回生産者が招待されて、子どもたちと一緒に給食を食べるのよ。その時に「おいしい味噌を作ってくれてありがとう」ってみんなが一筆書いたのをくれるけど、やっぱり子どもたちは喜んでくれる。
 順調にいっている今は、白川町にある老人ホームにデイサービスと、それから白竹の里っていう施設に年間10㎏ずつ寄付する。それに1か所だけ私立の保育園があって、そこは給食センターの給食食べてないから、また別で味噌を5㎏ぐらい持ってくよ。子どもたちに喜んでもらうのが目的だったからね。
 家庭は、年に1回の量り売りの時にみんなまとめて買いにみえる。今度量り売りをするんだけど、その時に20㎏ぐらいずつ1年分の味噌を買いに来るの。普段680円の味噌も650円にするし、まとめて安く買えるでね。普段スーパーに売ってるから、ちょこちょこと買う人はそこで買う人も多いよ。量り売りには結構人がいる。町内の人たちもやし、町外から買いに来る人もいるしね。子どものところに送ってやるって小分けした味噌を買いに来る人もいる。新聞の売り込みにチラシを出すと、みんなこの日を待って買いに来るの。3人で接待するんやけどね、けっこう忙しい。これが年に1回の行事やね。コロナが流行る前は豚汁をサービスしてたりしてたんだけど、コロナになってから豚汁も出せなくなっちゃったから、今は売るだけだね。だけど毎年みんなちゃんと買いにみえる。一時期みんな他の市販の味噌を飲んでみえたけど、やっぱり添加物を使ってないっていうこともあるし、おいしいから、徐々に客足が増えてきたんやね。やっぱみんなの口はよく分かるかもしれないね。
 1年おきに1桶60何㎏作っている人もいるよ。自分とこでは大きな桶を保管できないからここで保管してあげるの。ほしい時には、前もって電話もらえば出して小分けしてあげる。小さい桶の人だったら桶ごと持ってってもらうし。
 町外からの注文も結構あるよ、地元越えてね。大阪、愛知の港区、春日井市、稲沢市。着払いで送ってるのよ。1回に5㎏ぐらいずつ注文があるから、箱に入れて送ってやるのよ。豆の粒の形が残っとるのが珍しくていいって言われるんやって。

白川の味噌で作る料理

 私らは土手鍋にしたり、砂糖やらみりんを入れて、五平餅やら朴葉味噌にしたりするよ。あとは田楽にもするし。それぞれの味噌を使うよ。夏場なんかは生のキュウリに絡めて。前はヤマゴボウをいっぱい作ってもらってね、ヤマゴボウの味噌漬け作ってたんだけど、ものすごく評判がよかったん。だけどもう今ヤマゴボウ作る人がなくて。ヤマゴボウ作るの難しいらしいから。前は結構注文があってね、買う人もいたけど、もうずっと作ってない。

味噌作りの現状

 後継者がいないのね。この仕事も一年丸々あるっていう仕事じゃなくて、忙しい時は冬場だけだから、若い人はみんな仕事を持ってるからだめなのよ。3か月なら3か月来るっていうことができないの。役場にも頼んでるんだけど、やっぱり距離が遠いとか、力仕事だとか、朝は早く起きれない、来れないっていう人もいる。だからどっかで後継者見つけてもらわんと、この味噌工房も続かなくなっちゃうよ。子どもたちに地味噌の給食をだせなくなっちゃう。難しいよね。

地元に望むこと

 奥のほう(白川町の山間部)は大変やと思うよ。高校なんか行く子らはみんな寮とか下宿するんじゃない。白川町も昔と違って人口も減ってきたし少なくなった。子どもたちが保育園の時の同級生が、小学校に上がるころにはいない。少ないからかわいそうだろうっていうことで、どうしても可児とか美濃加茂のほうへ行ってしまう。あとここら辺やったら、可児か美濃加茂行かなければ仕事が無いから。だからだんだん人口が少なくなってく。やっぱり人口がもうちょっと増えてほしいね。戻ってくる人がおれば戻ってきてほしい。ほんと若い子ら帰ってこない。仕事のこともあるやろうけど戻ってきてほしい。

【聞き書きを終えての感想】

 取材に行った際に、渡辺さんから工房で作った豆味噌をいただきました。味噌汁にしていただいたのですが、安心するような味噌の優しい味がして、地元から他の地域の人たちまで多くの人たちに愛されている理由が分かりました。白川町は人口減少や少子高齢化が著しく進んでいる地域でもあるけれど、これから学校に上がる子どもたちや味噌を楽しみにしている人もいるので、少しでも改善されて味噌工房がなくならないといいなと思いました。取材を通して私自身初めて白川町へ行きました。私が住んでいる郡上市とはまた少し違った景色や自然の良さがあり、いいところだな思いました。また、取材をさせていただいた渡辺さんもとてもいい方で、聞き書きを通して関われた人や知ることができた地域があり、自分の中でとてもいい経験になったなと思います。

PROFILE

渡辺 洋子(わたなべ ようこ)さん

白川町で生まれ育つ。結婚後9年間春日井市で暮らし、家業の建築業経理をする。その後白川町に戻り、平成13年から味噌作りに取り組む。地元の味噌作りのグループでリーダー的な役割を担っている。町内産の大豆を使い、麹も自家製にこだわり地産地消に取り組む。

取材日:2023年11月11日、2024年1月13日

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