千年後も変わらない里山のある暮らし。持続可能な未来を考える

里山で生きる人の憩いの場・芝居小屋で
地域住民が主役の「地歌舞伎」を未来へつなぐ

Posted: 2023.06.07

INTERVIEW

全国各地に歌舞伎が広がった江戸時代。春のお祭りや田植えの後、お盆、お米を収穫した後などに地方を回る役者さんを招いて、家族みんなでお弁当を持って、芝居を観るのが大きな楽しみでした。やがてプロの役者に憧れ、地域住民が神社の境内や芝居小屋で真似て演じるようになったのが地歌舞伎です。岐阜の中濃地域の地歌舞伎は、小田原・播磨と合わせて日本三大地歌舞伎のひとつと言われており、ここ岐阜では中山道に沿って発展していきました。昭和30年代にテレビが普及し娯楽が多様化する中で、岐阜県白川町黒川では「東座」を修復し、地歌舞伎の文化を守りつないでいます。

そして、今年2023年は4年ぶりに地域住民による地歌舞伎「ふれあい公演」を開催。記念すべき30回目の公演についての意気込み、今後の展望について「東座歌舞伎保存会」会長の安江充さんにお話を伺いました。

PROFILE

安江 充(やすえ・みつる)さん

「東座歌舞伎保存会」会長。「東座歌舞伎保存会」は現在60代を中心に30~40名ほどが在籍しています。地歌舞伎の公演を主導し、小学生に地歌舞伎を教える活動を実施。また、同じメンバーが「東座運営委員会」も兼任しており、東座の管理を担っています。「コロナウィルスの影響で3年間『ふれあい公演』ができず、ようやく今年30回記念公演を行うことができます。東座や地歌舞伎を未来へつなげていくために、今できることを精一杯行っています」。

1889年(明治22年)に誕生した芝居小屋
黒川に唯一現存する「東座」のあゆみ

提供画像©︎東座歌舞伎保存会

白川町黒川には、かつて芝居小屋が3つありました。「中心部に春日座、西の方に共進座、そして東にあったのが東座です。いずれも明治に建てられましたが、昭和30年代に老朽化により閉鎖。共進座は毛織工場として活用していたのですが、老朽化が進み取り壊されました。ここ東座は、地域住民の熱意と白川町の協力と地域住民の寄付により、1985年(昭和60年)に修復作業を開始。1991年(平成3年)に修復が完成したのです。2階の客席にある札には、寄付してくれた方のお名前を残しているんですよ」と安江さん。

東座の歴史は、1989年(明治22年)にまでさかのぼります。当時は舞台部分のみの建物でした。その頃は、地歌舞伎は神社の拝殿で行い、お客さんは地べたに座って観るのが主流だったことから、東座でも野原で観覧していたようです。そして、11年後の1900年(明治33年)に観客席が完成しました。

「舞台の上に大きく掲げてあった『東座』の看板は当時のものが残っていますが、落下の危険があり下におろしています。この看板には、棟梁や大工さんの名前が大きく記されているんですよ。5月の『ふれあい公演』は30回という節目なので、レプリカを作って舞台に掲げよう!とがんばっているところです」。

東座にかけた地域住民の熱意
回し舞台や両花道など工夫が随所に

昭和に行った修復作業は、6年の歳月を費やしました。地元のヒノキや廃材を使いつつ、梁などは明治時代のものをそのまま残しているそうです。「昔の技術はすごいですよね。100年後も梁としてそのまま活用できるんですから。作りも材質も本当に見事です。当時の地域住民の熱意を感じますよね。芝居小屋にかける地域住民の期待が、時間も費用も多く費やされた東座の誕生につながったのだと思うのです」。

地域住民の期待を込めて作られた東座の特徴を安江さんに教えてもらいました。「東座は舞台の床を丸く切り抜いて回るようにし、舞台道具を転換させるしかけのある回り舞台です。ステージ下に大きな滑車があり、大人3~4人の力で回して大道具を移動させる仕組みになっています。また、客席には花道と仮花道があり、ふたつ合わせて『両花道』というのですが、これがある芝居小屋は珍しいそうですよ。

『ふれあい公演』の演目のひとつ、『白浪五人男(しらなみごにんおとこ)』は両花道を使う演目なので、楽しみにしていてくださいね。あと、客席は傾斜がかかっていて、後ろの席からも見やすいように工夫されているのも特徴です」。

楽屋はウナギの寝床のような細長い空間で、1階と2階に用意されています。2階の支度部屋で化粧をし、1階の舞台裏で着付をした後、最後に鬘(かつら)をかぶるという動線になっており、鬘や小道具置き場もしつらえられています。「地方を回る役者さんたちのために作られた石造りのお風呂もありますが、今は入る人はほとんどおらず、化粧を落とすのに使われるぐらいですね」。こうして、当時の面影と熱量を残しながら修復された東座。修復後のこけら落とし公演では故・中村勘三郎丈の記念公演が行われました。そして、その縁で東座の名誉館主に就任し、襲名披露の際も東座で公演を行ったそうです。2013年(平成25年)には六代目中村勘三郎丈が東座名誉館主に就任され、現在に至ります。

幼児から80歳まで役者として舞台に
役者も裏方もALL黒川で作る第30回「ふれあい公演」

東座では、毎年5月の第3日曜日に、手作り地歌舞伎を上演する「ふれあい公演」を行っています。役者や裏方など、地元の未就学児から80歳ぐらいまでが共に稽古に励み、上演する手作りの舞台は、今年で30回目。

「コロナ禍で3年できなかったので、ここ数年ずっと『今年こそ30回目』と言いながらやってきました。今までは振付のお師匠さんが指導してくださっていたのですが、ご高齢で難しくなってきてしまって。東座歌舞伎保存会のメンバーで振付を指導しているんです。裏方も師匠の一門と助け合ってきたが今年からはそれもできないので、大道具も照明も黒子もアナウンスもすべて地域住民で行います。ひとり何役もこなすのですが、観客は例年400~500名ほどの動員が予想されるので、久しぶりに活気づきそうです!」。

提供画像©︎東座歌舞伎保存会

地域住民のみで手作りする以外にも、黒川ならではの楽しみもあります。「毎年黒川小学校の6年生全員が役者となり舞台に立ち、『寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)』を演じます。今年で28回目ですね。東座歌舞伎保存会のメンバーが5年生に歌舞伎教室を実施し、練習を重ねて6年生の5月に役者として舞台に立つ。下級生にとっては『6年生になったら舞台に立つんだ!』という憧れや興味を持ってもらえたらうれしいですね。また、中学の文化祭でも2年生が歌舞伎を演じます。こうして、子どもたちが地歌舞伎に触れる機会を作り、その中のひとりでもふたりでも高校や大学、成人後…と地歌舞伎を続けてくれたらいいなぁと思います。それが、黒川の文化を未来へつなげることになるのでね」。

地域住民の拠り所としてあり続ける東座が
里山の文化を未来へつなぐ

小学~中学にかけて地歌舞伎の役者体験をして興味を持ち、国立劇場の養成所を経て、プロの歌舞伎役者になった人もいるそうです。「将来の選択肢のひとつとして興味を持つきっかけになるのもうれしいですが、黒川を出ていっても、歌舞伎を見る度に東座のことを思い出す。『ふれあい公演』を見るために帰省する。そんな風に、ふるさとを思い出す時に東座もともに思い出してもらえるとうれしいですね。かつては地域住民の娯楽であり、憩いの場でもあった東座の存在意義は変わってしまったけれど、いい形で住民の拠り所になることで、地歌舞伎という文化を未来へつないでいきたいと思っています」。

そのための課題もわかっています。「人口はどんどん減り、役者も裏方も若者も少ない。そのうえ、継続していくための資金不足も深刻ですね。安全に利用するために修復をし続けなければなりませんし、『ふれあい公演』を行うのに200万円ぐらいかかるのです。太夫(たゆう)・三味線・役者の衣裳・着付・化粧をしてくれる顔師などは依頼しなければならないのでね。『ふれあい公演』は入場無料なのでご祝儀のみでやりくりしていますが、協賛金もなかなか集まらなくて…。おひねりも飛び交いますが、子どもたちのお小遣いにするケースが多いですね。

『東座歌舞伎保存会』のメンバーは60代が多いのですが30代の若手も入り、がんばってくれています。大道具は仕事終わりに集まって作るのですが、大工さんや建材屋さんなど製材のプロがいてくれるので頼もしいですね。今いる人たちでできるだけ継続していくのが目標です」と安江さんは教えてくれました。

提供画像©︎東座歌舞伎保存会

後日、記念すべき30回目の「ふれあい公演」にお邪魔すると、おじいちゃん・おばあちゃん世代から子どもまで、和気あいあいと楽しむ姿を見ることができました。黒川小学校6年生(今年は5年生も2名参加)による「寿曽我対面」では、役者さん紹介の際「○○さんのお孫さんの~」と家族紹介もされており、地域住民みんなで子どもの成長を見守る和やかな雰囲気に。観客席から舞台へ声をかけ、歌舞伎を盛り上げる“観客のプロ”もおり、役者さんや観客の気持ちをグッと盛り上げる場面もありました。クライマックスではカラフルなおひねりも飛び交い、終始アットホームな温かい空気に包まれていました。

娯楽の多様化によって東座はひとつの大きな役割を終えましたが、この「ふれあい公演」では憩いの場であった当時の名残を感じることができます。子どもや孫の成長を感じる場所として、元役者・元裏方だった当時を懐かしみ、楽しむ場所として、今なお地域住民の心の拠り所になっているようです。

WRITER

吉満 智子(よしみつ・ともこ)/ ライター

愛知県出身、岐阜県御嵩町在住。結婚式場と人をつなぐ仕事をメインに活動中。「ご縁を結ぶ」様々なかたちを目の当たりにし、その根っこにある「人を大切にする想い」の普遍性にしみじみする日々。御嵩に移り住んで感動したのは、徒歩圏内に蛍が飛び交うさまを見られ場所があるということ。守るべきものは、今この瞬間だと実感。

文: 吉満 智子(o-hana)、写真:黒元 雅史(STUDIO crossing)

Posted: 2023.06.07

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