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【白川町に美しく響くパイプオルガンの調べ】

形を変えて300年生き続けるモミの木

Posted: 2024.03.15

COLUMN

岐阜県中濃にある白川町立黒川中学校には、国内の公立中学で唯一パイプオルガンがあります。その理由は、この白川町にはパイプオルガンを製造する工房があり、故辻宏さんが83台ものパイプオルガンを製作した「パイプオルガンの町」だからです。辻氏がイタリアやスペインのパイプオルガンを修復したことを縁に、白川町とイタリアのピストイア市とは姉妹都市を結び、岐阜県はスペイン・サラマンカ市と友好都市を結んでいます。今回は、辻氏の工房で21年間パイプオルガンをつくり、修復し続けてきた藤吉正吾さんにお話を伺いました。

PROFILE

藤吉正吾(ふじよし・しょうご)さん

藤吉オルガン株式会社代表(62歳)。岐阜県美濃加茂市出身。小学生の頃、テレビで放映されていたパイプオルガンの音色に魅入られたものの、日本でパイプオルガンに関わる仕事はないだろうと思いピアノの調律師に。その後、辻氏と出会い弟子入り。辻氏が亡くなった後、「藤吉オルガン」として事業を継承。現在は、辻氏がつくった多くの「辻オルガン」のオーバーホール(※1)やメンテナンスなどの管理を行う一方、パイプオルガンの新規製作も行っています。

※1 機械製品を部品単位まで分解して清掃・再組み立てを行い、新品時の性能状態に戻す作業

黒川の旧小学校校舎を工房にした
親方・辻宏氏との出会い

藤吉さんは1960年代に学校統合によって空いていた小学校校舎を白川町から借り受け、延べ400坪の2階建て木造校舎をパイプオルガンの工房として利用しています。約1000坪ある校庭では木材の乾燥を行い、給食室ではパイプを作るための鉛や錫(すず)を溶かす作業が行われています。「この工房は親方の辻が借りていました。親方は、美しい自然環境と広い工房を求めて神奈川県から黒川へ移り住んだようです。2005年に親方が亡くなった後、白川町の好意でそのまま工房としてお借りしています」と藤吉さん。

「親方との出会いは、パイプオルガンの見学ツアーでした。その時、初めて日本でもパイプオルガンを製造していることを知りました。しかも、同じ県内の隣町に。『目指していた世界がこんなに身近にあったんだ!』と衝撃を受けました。すぐにピアノの調律師を辞めて親方に弟子入りをお願いしたんですが、けんもほろろに断られちゃったんです」と藤吉さんは振り返ります。断られた理由は、藤吉さんがピアノの調律師であったためだと言います。「親方はピアノが嫌いなんですよ。ピアノは近代的な楽器でパイプオルガンは古典楽器。調律の仕方が違うんです。こだわる人にとっては、まるで住む世界が違うぐらいの違い。アルバイトをしながら追いかけ続けました。3年8か月後に、親方から『まだやる気はあるか?』と声をかけていただきました。今から36年前のことですね」。

手を動かし、つくりながら完璧を目指す
徒弟制度で叩き込まれた理想の親方像

「親方が亡くなるまでの、一緒につくらせていただきました。親方は生涯をとおして83台楽器をつくったんですけど、そのうちの40台を一緒につくりましたね。うちの親方は激しくて頑固な職人だったんですよ。徒弟制度がしっかりしていて、親方が絶対!先輩の言うことが絶対!というルール。親方は事務所に籠って設計をしていて、時々顔を出して『やり直しなさい』とだけ言って帰っていくので、先輩たちがやっているのを見て覚えていきました」。

当時、他の工房では親方自らが何から何まで製作するスタイルが多かったそうです。「うちの親方は初めて入った私にも物をつくらせる。やったことがなくても『やれ』というんです。『素人につくらせていいのかな。この親方すごいな』と思った覚えがあります。完璧にできるまで何度もダメ出しはありましたけどね。弟子を育てる親方はこうあるべきなんじゃないかって思いましたね」。

白川町のモミの木を楽器としてよみがえらせる
命をいただく重みと責任

パイプオルガンは国によって特徴が異なります。イタリアの楽器は明るく陽気な音色で知られ、ドイツのものは重厚な響きがあります。一方、スペインのオルガンはエネルギッシュな音色が特徴です。辻氏が手がけたオルガンの何台かはイタリア様式でした。「イタリアの楽器はモミの木を使いますが、辻オルガンはここ黒川の山で採れたモミの木を使っていました。山で木を選び、その場で切り倒し、枝を払い、山奥からワイヤーで引っ張り出すんです。製材された木ではなく、立木姿を見てインスピレーションを得てつくるのが親方のやり方。命をいただくこと、音を乗せる楽器としてよみがえらせるという楽器職人としての心構えを学びましたね」。

木は製材したら命が絶えるものではなく、何年経っても生きて動く材料。反ったり、割れたりもしますが、うまく修正を加えることで生き続けることができるのです。「木にとっての第二の人生ですね。今、工房で修理しているイギリスの楽器はおそらく90年くらい経っているんですけど、オーバーホールすれば次の20年、30年は音を鳴らすことができます。辻オルガンでは『300年保つようにつくりなさい』という親方の教えでした。300年後もつくり直せるように、部品は全部手製です。修復する人が見て、同じものをつくれば再生できる。パイプオルガンは人の命よりも長く生きられるんです」。

1台の楽器を修復するために
約8か月の時をかけ、技術を学ぶ

「私も一度、スペインで楽器の修復に参加しました。サラマンカ市のサラマンカ大聖堂にあるルネッサンスオルガンで、1558年建造とされている楽器です。江戸時代につくられた楽器が今も現役で使われているんです。400~500年前は電気のない時代なので全部手仕事です。鉋(かんな)すらない時代なので、手斧(ちょうな)や槍鉋(やりがんな)などの工具を使ってつくられた楽器がヨーロッパにはたくさんありますね。手道具でつくってあるのに、ものすごく精巧なんです。今ほど道具が充実していない分、技術があった。今の技術よりももっと正確で丁寧な仕事をされている。これを全部手でつくったのか!と驚きましたね。現地の修復作業で覚えたこと、見聞きしたことは今も役に立っています」。

イタリアやスペインにパイプオルガン職人がいる中で、日本人が修復に参加できた理由をお聞きしました。「スペインの大聖堂にあるパイプオルガンは全て国宝です。東大寺の仏像をスペイン人が修復するのは考えにくいですよね。それと同じで、日本人が修復に関わることはとても難しいこと。それでも、親方は修復に関わりたいと強く願い、十数年も現地へ通い続けたそうです。彼の目的は、昔の職人の技術を学ぶことでした。最初は礼拝堂の門の近くで切符を切る人と親しくなり、徐々に信頼を得ていきました。その情熱が認められ、スペインの修復プロジェクトに参加する機会を得たのです。岐阜市のサラマンカホールにある楽器は、スペインで修復した『天使の歌声』と称されるパイプオルガンのレプリカです。これは、修復によって多くの技術を得たからこそつくることができたものですね」。

自分自身の昔の技術を今の技術へ
アップデートしながら次世代へ繋いでいく

現在、藤吉オルガンの工房では3人の職人が、辻オルガンをメインに修復を行っています。「新しいものをつくる以上に古いものを次の20年につなげる、300年~400年楽器を生きさせる作業も大切だと思っています。辻オルガンでつくった83台の楽器を自分が元気なうちにいくつかオーバーホールしたいですね。完成してから20年~25年がオーバーホールする節目。自分の足腰が丈夫なうちに、できることをしていきたい。修復し始めるといろんなところが気に入らないんです。新人時代に自分が担当した仕事に出会うこともある。次に修復する20年後には、年齢的に自分は携わることができないかもしれない。『これが残るのは恥ずかしい』と思って、必要以上に手をかけちゃうんです。結果的に、新品よりもより良い状態に仕上がることがありますね。自分の技術で楽器をアップグレードできるのは、修復する中でのやりがいです。何しろパイプオルガンは300年の命ですからね。常に、次に手を入れる人へ渡すことを意識しています」。

辻氏が亡くなる直前まで製作していたパイプオルガン(未完)

修復せず手つかずになると、演奏されることも少なくなり、いずれ廃棄処分になってしまうそうです。「修復によって、楽器と技術を両方継承していかなければと思っています。職人は世界的に見てもリタイヤされる方が多く、どんどん技術者が減っています。この美しい音色を奏でる楽器を、ぜひ次世代へ繋いでいかなければと思っています」。

一方で、自分なりの個性が表現できる楽器をつくりたいと意欲を燃やしている藤吉さん。「パイプオルガンは音づくりや鍵盤を触る時のタッチの感触、弾き心地に、つくり手の個性が出やすい楽器なんです。36年やってきて理想が膨らんでいるので、形にしてみたいですね。辻オルガンは親方の意図でつくっている。僕は藤吉色の楽器をつくりたいですね」。

心に沁みる音色を奏でる楽器が
白川町民にとって身近な存在に

白川町は、パイプオルガンの稼働率がとても高いことも特徴のひとつなのだそう。毎年開催されている「白川イタリアオルガン音楽アカデミー」では全国から受講生が集います。「さらに子どもさんも参加できる『パイプオルガン入門講座』があり、一度入門講座に参加すると、年中いつでもパイプオルガンを弾くことができる特典つき。日本全国で見ても非常に珍しいと思います。『パイプオルガンを演奏できるのは音大で学んでいる人のみ』というところが多い。でも、多くの人がパイプオルガンを触るきっかけをつくっている白川町の取り組みは、とても意味があると思うんですよね。実際、年中誰かが弾いています。何かあったらすぐにメンテナンスできる工房が町内にあることも大きいとは思いますけどね」。

黒川で育った木でつくったパイプオルガンが黒川中学校でクラブ活動等に使われているのも、黒川ならではの特徴です。また、地域の児童が工房を訪れた際の「作ってみたい!」という反応に、林業の町であり、ものづくりが身近な「黒川ならではの面白さ」を感じるという藤吉さん。「つくりたいっていう子が将来弟子入りしてくれたらうれしいですね」。

パイプオルガンは風で鳴らす楽器。演奏者の息遣いを感じられ、心に沁みる音色を奏でます。「黒川の子どもたちは、この美しい響きを聴きながら育つ。とても素敵な環境だと思います」。

WRITER

吉満 智子(よしみつ・ともこ)/ ライター

愛知県出身、岐阜県御嵩町在住。結婚式場と人をつなぐ仕事をメインに活動中。「ご縁を結ぶ」様々なかたちを目の当たりにし、その根っこにある「人を大切にする想い」の普遍性にしみじみする日々。御嵩に移り住んで感動したのは、徒歩圏内に蛍が飛び交うさまを見られ場所があるということ。守るべきものは、今この瞬間だと実感。

文: 吉満 智子(o-hana)、写真:黒元 雅史(STUDIO crossing)

Posted: 2024.03.15

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