千年後も変わらない里山のある暮らし。持続可能な未来を考える

【農学博士 澁澤壽一先生】

幸福な生き方探しが、里山を守る第一歩に

Posted: 2023.03.25

REPORT

自然と共生し、物を丁寧に活用してきた暮らしから、大量生産・大量消費の暮らしへ。人々の価値観や暮らしはここ数十年で大きく変化しました。2023年2月18日、美濃加茂市伊深町にある築100年の旧櫻井邸では、農学博士の澁澤壽一氏を講師に迎え、講座「地域の資源活用と私たちの暮らしを考える~ものづくりの今・昔・未来~」が行われました。かつての里山の暮らし・自然との関わりについて考え、引いては自らの価値観に向き合うこの講座では、森林再生や地域資源の活用、持続可能なまちづくりについて学び合いました。1日かけてたっぷりと学んだ内容の一部をお届けします。

PROFILE

澁澤壽一(しぶさわ・じゅいち)さん

1952年生まれ。東京農業大学大学院修了。農学博士。NPO法人共存の森ネットワーク理事長として森林文化の教育・啓発を通じて人材の育成や地域づくりを手がける。明治の実業家・澁澤栄一の曽孫。みのかも定住自立圏構想共生ビジョン懇談会委員。

人は「森の一部」
樹木のサイクルに人が合わせた暮らし

講座が行われた旧櫻井邸は、かつて村長や郡会議員を務めた故櫻井福太郎氏が肥料米販売店兼住居として使用していた大屋敷です。100年ほど前に建てられた旧櫻井邸は今でもとても剛健で美しい造りを保っています。「かつてはこの旧櫻井邸のように100年以上使うことのできる家を建てるのが一般的でした。それは、次世代の樹木が成長するまで家を保たせなければならなかったからです。そのため大工は長く住み続けられるよう工夫して家を建て、人々は修復しながら暮らしてました。人の暮らしを樹木の成長サイクルに合わせ、『人は森の一部』という意識で暮らしていたのでしょう。今の住宅は20~25年ほどで建て替えることが多いので、木が育つ前に樹木を切っている。つまり、森を破壊しているということです。このままでは地球が保たない。大量生産・大量消費の考え方を転換する必要があります」と澁澤先生は問題提起をしました。

人と共生することで
森は成長し、多様性を維持する

植物の成長量を利用する、持続可能な暮らしのモデルは江戸時代までさかのぼります。「日本の森の98%は人の手が入っています。薪や建材として利用するために木を伐ることで、森の中まで太陽の光が届くようになり、低木や草、獣、微生物が豊かに育っていったのです。こうして、日本の森では多種多様な生態系が育まれていきました」と澁澤先生。人が生きるために森の資源を無駄なく賢く利用することが、自然を守ることにつながっていたのです。つまり、森が循環するサイクルに人が組み込まれ、人と森が共生していたのが江戸時代の暮らしと言えるでしょう。

循環型の「里山」と消費する「都市」
便利な暮らしが生命力の低下の代償に

「もう少し江戸時代の暮らしについて考えてみましょう。江戸はいわゆる循環型社会。囲炉裏の灰や人間の排泄物などを火山灰土壌(関東ローム層)の肥料として田畑に戻して循環させ、その農地の生産力が都市の人口を支えました。少しでも無駄を減らすため、ひとつの物を丁寧に使うため修理業や古着屋・古道具屋をはじめとするリユース・リサイクル業が盛んでした。家も家具も道具も、世代を超えて受け継ぐのが当たり前の時代だったのです。一方、現代の都市は、消費するだけの街。大量生産・大量消費の現代では、循環させる機能がないので自然がどんどん破壊される一方です。都市だから、里山だから…というくくりは人間が生み出したもの。同じ日本・地球である事実を再認識してほしい。住んでいる場所に限らず、『宇宙船地球号』の一員として自然と向き合い、考えていかなければならないのです」。

かつては循環型の暮らしをしていた里山でも、現在では消費することに傾いてきてしまっています。森と共生していた人間が、森を捨て、人間だけで生きられる、と過信するようになってしまったからです。「生きることは、身体を動かし働くことだったかつての暮らしでは、寒い時には山で薪を取り、暖を取っていました。肥料も繊維も、薬さえ自然の中から調達する。山さえあれば生きていけたのです。今の暮らしは自分で炭を焼かなくてもスイッチひとつで部屋が温まり、便利で楽かもしれない。しかし、災害等で電気やガスが止まった時に生き抜くことができるのでしょうか?」と澁澤先生は問いかけます。

地域資源の活用法を考えることが
森と人の未来を変える第一歩

森林利用についても江戸時代にヒントがありそうです。「当時は家を建てる建材利用よりも、燃料(薪や炭)や食料(木の実)、肥料(落ち葉・青草)、器や道具、繊維などを得る場所として森を活用してきました。江戸時代にも人口増加や街の発展により森が破壊されつつありましたが、鎖国や自給社会の決まり事(掟)によってある程度抑制されていたのです。そのバランスが崩れたのが、第二次世界大戦ですね。焼失した家を建て直すために日本中がはげ山になりました。そして、林業のため・利益を得るためにスギやヒノキ・カラマツなどが植えられたのです。しかし、燃料の主流が石炭から石油へ移り変わった1960年ごろのエネルギー革命や、輸入材木が安価に入手できる環境の変化により、日本人は木を切ることをやめ、森は荒れました。花粉症に悩まされる人が増えてしまったのもそのせいかもしれません」。

江戸時代のように100%地域資源のみで暮らしていくのは、実際はむずかしいでしょう。しかし、ガス・ガソリン・石油の代わりにカンナくずや製材から出る端材、山の間伐材などを活用した地域資源で、エネルギー消費の1/3以上を賄っている自治体が日本国内にあるのも事実です。「10%でも20%でも地元の山をいろいろな製品やエネルギーに活用できたら…。それを考えるのが、今を生きる私たちの役割のような気がしますね」。

持続可能な社会に欠かせない
人と人との結びつき

山で大きく枝を広げている大木は、何代も前の先祖たちが植えて、丁寧に育ててきたもの。先祖が植えた木を糧にし、次世代のために木を植えるという繰り返しで「今」を生きる家族を支えていたのです。世代を超えた人のつながりが、目の前にあるものを大切にする姿勢へとつながっていたのかもしれません。「山に入らなくなり60年ほど経つ現代では、普段使っている机がどのような工程を経て木から机になっているのか知らない人も多いでしょう。倒す方向を意識して木を伐る、皮をむき、山から引きずり出す、心材を割り、乾燥させるなど、製材前にも多くの手間暇がかかっています。現在は分業が進んでいるので、多くの人の手が必要で人件費もかかる。売り手は少しでも高く。買い手は少しでも安く。すべてをお金の価値で計る。かつての里山では、皆が役に立つように木は伐られていました。そこで大切なのが、人間関係の濃さと結びつきですね。どちらかが『もっと高く売りたい』『いやいや安く』なんて言い始めたら、村はまとまりません」と澁澤先生。これらの人間関係を構築し、次世代へつなぐ重要な役割を担っていたのが、祭りです。祭りの準備は祭りの翌日から始まっていました。祭りは伝承と教育の場でもありました。祭りの準備を通して、世代を超えた人と人とのつながりが育まれ、山で生きていく生き方が教えられてきました。山の入り方ひとつとっても大切に受け継いでいくことができていたのです。

自然を持続的に利用することが
人間が生き抜くためのキーワード

自然は時として牙を剥き、災害をもたらすことがあります。かつての人々には、自然災害時に共存するための知恵がありました。自然が復元するのにかかる時間(秋田の薪山は33年1サイクル)や家族が生きていくために必要な食物が確保できる土地の広さ(水田ならば1人=10アール)、薬草やかご作りなどの知恵や技術、自然の恩恵を受ける術など、多岐にわたります。「今はその知恵が継承されず、対策に終始してしまっています。時間はとてもかかりますが、生き方・考え方そのものを変えて、受け継いでいかなければならない。今ならまだギリギリ間に合う。自分が幸せならそれでいい。それもひとつの考え方ですが、人間にとって本当に大切なのは何か。次世代のために、地球を破壊してしまうのを抑制するために、自分にできることはなんだろう?幸せとは?豊さとは?自らが考え、選択していく時期が来ています。本当に豊かなのはモノに囲まれて生きることなのか。親から受け継いだもの・自分が大切にしてきたものを子孫世代へつなぐことなのか。この講座がご自身の幸せについて、自然と共生することについて考えるきっかけになってもらえたらうれしいですね」。

加茂地域は自然とのつながり方を
自身で選択できる最良のまち

最後に、様々な地域で地域づくりを行っている澁澤先生が考える、この加茂地域の特徴や資源について伺いました。「美濃加茂市や加茂地域は、雪も雨もほどほどに降り、土は肥沃で山もある。豊かな自然に恵まれている地域です。おじいちゃん、おばあちゃんが近居している人が多く、都心までの交通の便がよいので二拠点居住もできる全国的にも珍しい恵まれた場所です。平日は都心で暮らし、週末だけ田舎で畑を耕す…など、自然との関わり方の選択肢がとても多いのが魅力ですね。色々な暮らし方ができる場所であることを皆に知ってもらう必要があると思っています」と教えてくれました。

「いい企業に勤めたい!という若者は多いと思いますが、季節ごとの仕事があり、家族が食べる分だけ米や野菜を作り、山から薪を拾ってきてストーブを焚く…という暮らしに豊かさを感じる人もいるでしょう。炎を見ながら時間を忘れてゆったり過ごすなど、幸福を感じる選択肢はいくらでもあるのです。自分なりの豊かさとは・幸せとはなんなのか。ぜひ考えて見つけてほしいですね。年収1000万で暮らしてきた人が年収300万円になっても生活の質を落とさず、幸せを感じながら暮らすことができる。加茂地域はそんな場所だと思っています。農体験をしてみる。木に触れて、器を作るワークショップに参加してみる。なんでもいいのです。まずはチャレンジしてみてください。そこで、自分が求める豊かな暮らしが見えてくるかもしれません。自然を身近に感じることが、里山の未来を変える第一歩につながるのではないでしょうか」。

自然と共生してきた江戸時代の暮らしを知ることで、山に興味を持つきっかけになったら。そして、自然とのつながり、人と人との結びつきを実感することで、人生には色々な選択肢があると気づいてもらえたら。人生の豊かさについて考えることが、里山を守ることにつながる。そんな澁澤先生の言葉に、受講生から「今日から自分にできることを探したい」という声も聞こえてきました。

WRITER

吉満 智子(よしみつ・ともこ)/ ライター

愛知県出身、岐阜県御嵩町在住。結婚式場と人をつなぐ仕事をメインに活動中。「ご縁を結ぶ」様々なかたちを目の当たりにし、その根っこにある「人を大切にする想い」の普遍性にしみじみする日々。御嵩に移り住んで感動したのは、徒歩圏内に蛍が飛び交うさまを見られ場所があるということ。守るべきものは、今この瞬間だと実感。

文: 吉満 智子(o-hana)、写真:黒元 雅史(STUDIO crossing)

Posted: 2023.03.25

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